経済評論家 加谷珪一が分かりやすく経済について解説します

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朝日新聞の誤報問題から見えてくること

 先日、朝日新聞が、いわゆる従軍慰安婦問題に関する同社の報道に誤りがあったとして、関連する記事の一部を撤回するという事態になりました。ここでは慰安婦問題そのものとは少し違った角度でこの問題を捉えてみたいと思います。

メディア・リテラシーとは?
 今回の一連の出来事を通じて感じるのは、日本人の大手マスコミに対する過剰な意識です。朝日新聞は確かに大手新聞社なわけですが、一介の営利企業に過ぎません。そもそも、こうした組織に、完璧なジャーナリズムというものを求めること自体がナンセンスといえます。

 というよりも、完璧なジャーナリズムなど、最初からこの世には存在しません。ジャーナリズムは、今も昔も、覗き見趣味(センセーショナリズム)や権力との癒着に対して、常に紙一重であり、時には記事の捏造すら行う可能性のある存在です。

 そうであればこそ、時には権力内部の不正や内情を暴くことができるわけですし、それが逆方向に働けば、今回のような誤報も生じるわけです。
 私たちは、メディアとは所詮そのような存在であるということを前提にした上で、その情報を取捨選択する必要があります。それがメディア・リテラシーというものです。

 しかし、今回の朝日新聞に対する反応を見てみると、そういった余裕は感じられません。国会に参考人招致せよという話まで出ているようですから、それはなおさらです。

 つまり、国会議員という権力者までが、「朝日新聞はケシカラン」と大騒ぎしているということは、朝日新聞の影響力が極めて大きいことを逆に証明してしまっているのです。バッシングという形であれ、こうして大手マスコミに対して過剰に反応することは、あまりよい結果をもたらさないでしょう。

 というのは、権力を持っている人、特に官僚は、あらためてマスコミの影響力の高さを認識し、ますます情報操作にこれを利用しようとするからです。

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記者クラブの存在が意味すること
 よく知られているように、日本には記者クラブという独特のシステムがあります。
 大手メディアの記者と政府が一種のエリート・インナーサークルを形成しているという構図は、フランスなどにおいても見られるものですが、マスコミの活動費用まで政府から提供を受ける記者クラブの制度は、かなり露骨な部類に入るといってよいでしょう。

 日本においてメディアと政府は、利益の一部を共有する体質になっているわけですが、このような状況が生じてしまう最大の理由は、皮肉にも国民のマスコミに対する異様な信頼度にあります。

 経済広報センターが昨年発表した報告書によると、新聞の情報が信頼できると答えた人は何と約6割にも達しています。米国における同様の調査では、新聞が信頼できると考えている人は25%程度しかいません。

 官僚とともにエリート・インナーサークルを形成している大手マスコミに対しては、中立で一切の偏向がない信頼できる情報源であって欲しいとの願望があるのかもしれません。

 最近ではマスゴミという言葉も一般的になり、マスコミはあてにならないという息巻いている人も大勢います。
 しかし、ネット上におけるこうした言論も、結局はほとんどが大手マスコミの記事をベースにしていますし、マスコミへの反発もその権威の高さの裏返しと考えることもできます。

 大手マスメディアは現実問題として世論形成に大きな役割を果たしており、官僚はそれを分かっているからこそ彼等を極端に優遇しているわけです。

 今回のような誤報事件が外交に悪影響を及ぼすと考えるのであれば、それを防ぐ最大の方法は、国民がマスコミに過大な期待など抱かず、ただの媒体としてやり過ごすことです。
 国民がマスメディアに対して、一定の距離を置くことができれば、その影響力は自然と低下してくるものなのです。それができる国こそが、成熟国家といえるでしょう。

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