加谷珪一の知っトク経営学 組織編 第9回
【ハーズバーグの二要因理論】後編
前回、解説したハーズバーグ理論の背景になっているのは、実はユダヤ教哲学とキリスト教哲学です。このほかにも、グローバルスタンダードになっている理論の中には、もともと宗教哲学を背景としたものが少なくありません。
日本はキリスト教文化圏ではありませんから、あまり議論されることがないのですが、こうした背後関係をまったく無視してしまうと、一連の理論について正しい認識ができない可能性があります。欧米の宗教哲学的な概念を積極的に受け入れる必要はありませんが、理論を活用するにあたっては、ある程度、理解は必要でしょう。
話の根底にあるのは旧約聖書
ハーズバーグの理論は、満足度を高める要因と不満をもたらす要因の2種類で構成されており、それぞれの要因を象徴する人物像として、自己実現的な人と困難回避的な人をあてはめています。
実はこの2つの人物像は宗教的な世界観と密接に結びついているのです。自己実現的で満足感を高められる人物は、旧約聖書に登場してくるアブラハムのことを指しています。アブラハムは、ノアの方舟で有名な大洪水の後、初めて神から祝福された人間です。彼は積極的に神と契約を交わし、それに基づいて自らを律し、積極的に自己実現に邁進します。
達成や承認、責任といった概念は、アブラハムの人物像とぴったり一致していることになります。
一方、不満足をもたらす要因は、同じく旧約聖書の登場人物であるアダムと深く関係しています。
よく知られているようにアダムとイブは、神が最初に創造したとされる人間ですが、神との契約を破り、禁断の木の実を食べてしまいエデンの園から追放されてしまいます。欲望に負け、自らを律すことができない罪深い人物の代表というわけです。
日本人がコーポレートガバナンスを理解できない理由
日本人にとってはあまり関係のない話かもしれませんが、旧約聖書に出てくる具体的な人物像と満足・不満足の項目がリンクしていることの重要性は理解しておいた方がよいでしょう。つまり、人間には両方の面が存在しており、本当のところどちらが本来の姿なのかは分からないのです(少なくともユダヤ教、キリスト教圏の人はそう考えます)。
どんなに模範的に見える人物でも、低次元の欲求に左右されてしまうこともあるかもしれませんし、逆にいつも生理的欲求に負けるタイプの人が、高次元のモチベーションと無縁とは限りません。つまり、この概念が日本の文化圏においてうまく適用できるかどうかは分からないのです。こうした話は実は随所に存在しますから注意が必要です。
最近よく耳にするコーポレートガバナンスについても同じことが言えます。詳細はここでは省略しますが、コーポレートガバナンス理論の背景には、キリスト教哲学が存在しており、多くの日本人が、根源的な部分においてこの制度を理解できていません。
制度は導入したものの、うまく運用できないケースが多いのはそのためです。日本はこうしたパターンが多く、これが様々な問題を引き越しているのですが、このミスマッチに対する日本人の認識は薄いというのが現実です。
本来であれば、背景にある宗教哲学を理解した上で、宗教的な部分は取り除き、エッセンスだけを導入するという作業が必要となるのですが、これはそう簡単ではありません。
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