経済評論家 加谷珪一が分かりやすく経済について解説します

  1. 政治

「心が豊か」という人が増加している背景には何がある?

 「心が豊かである」と考える日本人の割合が急増しているそうです。一方で「努力しても報われない」と考える人の割合も上昇しています。一見、相矛盾しそうなデータですが、これはどう考えればよいのでしょうか?

物質的な水準は上がっていないが、精神的な満足度は向上
 調査を行ったのは文部科学省所管の統計数理研究所です。この調査は同研究所が5年に1回実施しているもので、20歳以上の男女6400人に対して個別面接を行ってデータを収集しています。

 調査結果によると、心の豊かさに関する4段階の評価で「非常によい」あるいは「ややよい」と回答した人の割合が前回調査(2008年)の28%と比較して47%に急増しています。
 また、「もう一度生まれ変わるとしたら日本に生まれてきたい」と回答した人も、前回の77%から83%に上昇しています。特に20代の男性の増加が著しく、前回は54%だったが、今回は74%となっている。日本人の自身に対する精神的な満足度はかなり高くなっていることが分かります。

 精神的満足が高いことは非常にいいことです。どんなに物理的に恵まれていても、精神的に豊かになれなければ意味がないからです。しかし、この結果を手放しで喜んでいいのかというとそうとも言い切れません。生活水準や将来の希望という点では芳しくない結果が出ているからです。

 自分自身の生活水準については、「変わらない」という人が44%から53%に増加しています。悪くなったと回答した人は、日本が金融危機寸前まで追い込まれた2003年に急増し、その後は変わらないという人が増えているところをみると、生活水準は大きく低下した後、その水準で横ばいが続いていることが分かります。

 また、将来について「努力しても報われない」と考えている人は、前回の17%から26%に増加しています。自身の将来について期待できないと考えている人が増えているわけです。

 こうした結果を総合して考えると、生活水準は低く、将来の展望はないが、精神的な満足度は向上しているということになります。

siawasebhutan

幸せをどうかを客観的に評価するのは難しい
 先ほど、物質的に豊かでも、精神的に豊かとは限らないという話をしましたが、逆に、精神的に豊かだからといってそれが本当に幸せなのかどうかも定かではありません。物質的に苦しい状態が続くと、人は生活水準の向上を諦め、自分は満足であると思い込むという自己防衛本能を発揮する可能性があるからです。

 日本経済が長期低迷し生活水準が下がっている中、精神的満足度が上がっているというのは、多くの人が、物理的な水準向上はあきらめ、現状を受け入れ始めていると解釈することも可能なのです。

 これは幸せの国としてよく引き合いに出されるブーダンの例からも分かります。ブータンは、質素ながらも多くの国民が満足度の高い生活をしているといわれます。国民総幸福量という概念を導入し、国民の97%が幸せと感じているそうです。

 確かにすばらしいことですが、物事には両面があります。

 ブータンの国民の識字率は実は50%程度しかありません。国民に十分な教育が行き届いておらず、国民の半分が文字が読み書きでない状態にあります。
 これでは他の地域の人や外国の人がどんな暮らしをしているのか知りようもありませんし、仮に苦しいことがあっても、そうなっていることを人に正確に伝えることすらできません。

 いくら精神的に豊かといっても、基本的な教育を受けられない人がいるということはあってはならないという考え方も成立します。また同国では、民族服の着用が義務付けられていますが、この点をとっても同様です。同じ服装を強要されることは苦痛以外の何者でもないという人は少なくないでしょう。

 仮にブータンの人が、心からその生活に満足していると答えたとしても、果たしてそれは本当なのか疑問の余地があるわけです。

 外国のことはともあれ、先進国に住む私たちは、やはり経済を健全に成長させ、物質的な豊かさを確保した上で、精神的な満足度を追求すべきです。
 物理的に豊かだと精神的に貧しくなるというのは、まだまだ精神的に貧しいからです。精神的に豊かであれば、物質的な豊かさと精神的な豊かさは両立できるはずです。

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