経済評論家 加谷珪一が分かりやすく経済について解説します

  1. 政治

中国が目指す人治から法治への転換とは?

 安倍首相は2014年11月10日、中国の習近平国家主席と北京の人民大会堂で会談しました。日中首脳会談が行われるのは実に2年半ぶりのことであり、安倍内閣になってからは初めてとなります。

中国は法を徹底するとしているが
 日本では日中首脳会談のことが中心に報道されていますが、今回のAPECにおける最大の焦点はやはり米中関係です。
 米国と中国は、基本的に敵対ではなく、交渉相手として、新しい大国関係を構築しようという点では一致しています。しかし中国は、根本的には米国や日本とは基本的な価値観を共有できない国でもあります。

 中国は、こうした点をよく理解しており、今回のAPEC開催を前に、中国は法の下に平等であることを積極的に演出しようとしています。これは特権階級の富や権力の独占に対して不満を強める国内対策でもあるようです。

 APECに先だって開催されていた中国共産党の第18期中央委員会第4回全体会議(4中全会)では「法にもとづく国家統治を全面的に推進する」することが全面的に打ち出されました。

 しかしながら、共産党の一党独裁による統治を行う中国と、日本や米国のような民主国家では、本質的に法にもとづく統治の意味が異なります。

 日本や米国など民主国家では、「法治=法による支配」ではなく「法の支配」という言葉が使われます。法の支配は、国家権力よりも法が上にあるという意味で、民主国家の基本概念となるものです。つまり権力者であっても、すべて法に従わなければなりません。

 しかし「法による支配」、あるいは「法治」ということになると、必ずしもそうではありません。それは法によって国民を支配するというニュアンスにもなりますから、絶対王制や共産国家でも適用することができます。つまり、支配する側が、国民を支配するために法を使うのであって、悪法でもそれは正当化されるわけです。

 かつてフランスが絶対王制だった頃、ルイ14世が言った有名な言葉に「朕は国家なり」というものがありました。まさにこれは法治のことを表しており、自分がルールを作ると言っているわけです。

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法治と法の支配はまるで違う
 中国は共産党が一方的にルールを作っていますから、まさに法治の国であって、法の支配の国ではないということになります。しかし中国共産党は、英文での表記には、異なる文言を使っています。

 法治を英語に訳せば「Rule by Law」ということになるのですが、中国共産党が作成した英文では「Rule of Law」となっています。英文を読むと中国は、わたしたちと同じような「法の支配」の国であるかのようです。

 つまり中国は、米国や欧州、日本など民主国家に対して、まだ後ろめたさがあるようで、法の支配と読めるような表記をあえて行っているようなのです。その点では、中国における法の徹底はまだまだ先のことかもしれません。

 ただしこうした中国の幼稚さについて、わたしたちは、一方的に笑っていられるわけではありません。実は、日本は民主国家の中では、「法の支配」があまり徹底された国ではないからです。

 「法の支配」の世界では、法より上に民主主義の根本的な理念というものがありますから、これにしたがって考えた場合、悪法は無効になりますし、その理念と相反する条文があった場合には、それについては柔軟に取り扱うという態度が求められます。

 日本は、他の民主国家と比較して、国会で通った法律や条文に書いてあることは絶対であるという概念が強すぎるといわれています。この弊害はいろいろなところに出てきます。

 憲法9条で戦力の保持を禁止したからといって、問答無用で軍事力を持つことが憲法違反だとする考え方もそのひとつですし、逆に、特定秘密保護法の審議では、上位概念である憲法や基本的人権との兼ね合いをどうするのかという非常に大事な部分については、まともな議論が行われませんでした。

 日本人は学校の勉強もそうなのですが、何かを与えられるとそれを絶対視してしまう傾向があります。真の善悪を考える必要がないのは、精神的にラクかもしれませんが、そこで満足してしまっては先の進歩はありません。

 時代は常に変わっていきますから、今後、あたらな価値観やライフスタイルが出てくるかもしれません。わたしたちは、そのたびに「法律にこう書いてあるから」ではなく、真のモラルやルールは何かを議論していく必要があります。

 簡単な作業ではありませんが、こうした苦労は、先進的な民主国家の国民であれば常に、背負い続ける必要があるものです。そうでなければ、法の支配が徹底されない中国と大して変わらない国になってしまいます。

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