日本メーカーはどこで間違ったのか?(後編)

 前編では、日本の半導体ビジネスが1990年代以降、敗北続きとなっている現実について解説しました。後編では、なぜこのような事態になっているのか考察したいと思います。

 過去の失敗事例について言及すると「過去の批判ばかりしても意味がない」「過去よりも将来が大事だ」といった批判が必ずといって良いほど出てきます。そしてこうした批判の大半は感情的で、激高した口調なのですが、実は日本人のこうした感情的な思考回路そのものが、失敗の原因なのです。

1990年代以降、輸出品目構成がピタっと動かなくなった

 半導体メーカーに限らず、90年代以降における日本の製造業は、自動車など一部の業界を除いて、国際的な競争力を著しく低下させてきました。最大の理由は、自ら切り拓いてきた時代の変化に自身が対応できなかったことです。

 日本は戦争によって多くの産業インフラを焼失し、戦後はほぼゼロからのスタートとなりました。当時の日本の主要な輸出品は繊維製品であり、輸出の多くを繊維関係が占めていました。戦後の極端な資金不足から、政府はすべての重工業を一律に成長させることは不可能と考え、傾斜生産方式を提唱し、石炭と鉄鋼の生産に資源を重点配分することになったのです。

 傾斜生産方式が、本当に戦後の高度成長に寄与したのかについては様々な見解があり、神話になって誇張されている面があることは否定できません。しかしながら、石炭と鉄鋼の生産が急増し、1950年には鉄鋼の輸出が全輸出の15%を占めるまでに成長したのは紛れもない事実です。

 その後、時代の変化に合わせて、日本の輸出品目の割合はめまぐるしく変わり、1950年代には繊維の割合が急低下して電気製品と船舶が増加。1960年代には各種機械の輸出が大幅に増加しました。そして1970年代の後半からは自動車の比率が高まり、1980年代に入ると一気に半導体が台頭します。

 つまり日本の産業界は10年ごとに主力となる製品や技術をシフトさせてきたわけですが、どういうわけか、1990年代に入ると、日本の輸出品目構成比率がピタっと動かなくなり、現時点に至るまで各品目の比率に大きな変化が生じていないのす。

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過去を検証できなければ未来はない

 1990年代以降におけるグローバルな産業動向を考えると、むしろ以前よりも変化が激しくなっていますから、本来であれば日本の輸出品目はソフトウェアや知財商材が急増するなど、大きな項目の変化が生じていたはずです。一連の動きから、日本メーカーは90年代以降、進化を止めてしまったことがよく分かります。

 80年代に日本メーカーが半導体市場を席巻できた最大の理由は、大量生産による価格破壊でした。日本メーカーは価格破壊を自ら仕掛け、先行メーカーを駆逐したわけですが、この戦略は確実に後発の新興国に模倣されます。実際、90年代以降は韓国メーカーと台湾メーカーが驚異的な低価格で市場に参入し、日本メーカーはあっという間に市場から追い出されてしまいました。

 本来であれば、日本メーカーはインテルのように高付加価値製品にシフトするなど、根本的な戦略転換を実施すべきでしたが、これまでの実績に慢心し、過去を振り返らなかった各社は、ビジネスモデルを変えることができず、次々とアジア勢に敗れていったのです。

 過去の経緯を検証する行為に対して激しく批判するというのは、慢心がまだ消えていない証拠です。たとえ不都合であっても、真剣に過去と向き合わなければ未来はやってきません。日本の産業界が90年代以降、進歩を止めてしまったという現実を受け止め、それを前提にした戦略を組み立てなければ、日本の産業界が本当の意味で、競争力を復活させることは難しいでしょう。