パナソニックが液晶パネル事業と半導体事業から撤退することになりました。半導体ビジネスは、価格勝負の世界となっており、業界の主役は日本勢から韓国勢や台湾勢に取って代わられています。パナソニックは最後まで頑張った方ですが、すでに多くの日本メーカーが半導体ビジネスから撤退しています。日本メーカーはどこで間違ってしまったのでしょうか。
液晶パネルに続いて半導体事業からも撤退
パナソニックは2019年11月、2021年をメドに液晶パネル事業から撤退する方針を明らかにしました。同社は複数の液晶パネル製造拠点を持っていましたが、業績低迷が続いたことから、姫路工場に拠点を集約。その後も状況が改善しないため、完全撤退を決断しました。
パナソニックは、もともと液晶パネル事業には積極的ではなく、プラズマディスプレイを次世代薄型ディスプレイの主力と位置付けてきました。ところが液晶パネルの大型化が想定外に進んだことからプラズマディスプレイの優位性が低下し、2013年にはプラズマの生産を終了。今回、プラズマに続いて液晶からの撤退も決断したことで、同社は薄型パネルを基本的に外部調達に切り換えることになります。
同社はほぼ同じタイミングで半導体事業からの撤退も表明しています。
同社の半導体事業も業績が安定しておらず、事業のスリム化を進めてきましたが、液晶と同様、競争環境がさらに激化したことから半導体事業を他社に売却することになりました。液晶に続いて、半導体事業からも撤退することで、パナソニックは関連事業をほぼすべて手放すことになります。
90年代以降、屍累々の日本の半導体ビジネス
かつて半導体ビジネスは「産業のコメ」などといわれ、日本経済の牽引役だった時代もありました。特に1980年代にはDRAM(記憶保持動作が必要な随時書き込み読み出しメモリー)分野で日本メーカーが世界市場を席巻。米国が警戒し、日米半導体交渉が行われるなど政治問題にも発展しました。
ところが、日本メーカーは1990年代以降、韓国勢や台湾勢との価格勝負に巻き込まれ、徐々に半導体市場での地位を失っていきました。
海外勢との体力差を埋めるため事業統合が進められましたが、ほとんどが失敗に終わっています。
NECと日立製作所の部門を統合したエルピーダメモリは、経済産業省主導で公的資金が注入されたものの経営破綻し、米国企業に売却されました。政府が全面支援し、日立製作所と三菱電機の半導体部門とNECエレクトロニクスを統合したルネサスエレクトロニクスも業績が安定していません。
単独で液晶パネル事業への巨額投資に邁進したシャープは、累積損失が1兆円近まで膨れあがって経営危機に陥り、最終的には台湾・鴻海精密工業の傘下に入ることで何とか延命できました。
極めつけは、日立製作所、東芝、ソニーの中小型液晶パネル事業を統合したジャパンディスプレイでしょう。同社は発足から2年でスピード上場しましたが、いきなり業績を下方修正し、その後は連続して赤字を計上。現在は1000億円の債務超過となっており、政府もサジを投げた状態にあります。
日本の半導体ビジネスは90年代以降、敗北続きなのですが、なぜこのような事態になっているのでしょうか。この点については次回、解説したいと思います。