実力主義の背後にあるもの

世の中では、運がよくて成果を上げることができた人に対して、総じて否定的です。当たり前といえば当たり前で、運が良くてお金を稼いだとか、実績を上げたと聞けば、他人はあまりいい気分はしないでしょう。

しかし現実に大きな成果を上げた人を見てみると、ほとんどが、相当な努力をしています。かなりの努力を行い、その中で運がよかったごく一部の人だけが、大きな果実を得ているというのが真実の姿です。

確かに中には、ごく一部、何もせずラッキーなだけで成功した人もいるわけですが、あくまで少数派でしょう。結局のところ、かなりの努力を行い、さらに運がよかった一部の人に幸運の女神が微笑んでいるわけです。

運がいいことは重要

成果を上げた人の中には、すべて自分の実力だと主張する人もいますが、一方で運を極めて重視し、いわゆるゲン担ぎをしている人も少なくありません。これも、大きな成果を上げるためには運に恵まれる必要があるという点と大きく関係しているのかもしれません。

筆者は、運に恵まれることを肯定的に捉える価値観は非常に重要だと考えます。といよりも、過度な実力に対する思いが、かえって成果から自分自身を遠ざけてしまう可能性があるのです。

一般的には「何事も実力で達成しなければ意味がない」と考えられており、一見この考えは正しいように思えます。しかし、ここには大きな落とし穴があります。

運がいいことを否定し、実力がある人だけが成功するべきというのは、実は「使われる側」の人間の発想法であり、これは、突出して大きな成果を上げようとする人にとって大敵になるからです。

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私たちは、実力という言葉をあまり深く考えずに使っています。しかし、実力がある、ない、というのは、あくまで評価の基準がすでに定まっているものに限定されます。つまり、実力という概念はすでに出来上がった古いものにしか適用することができないのです。

コンピュータがこの世の中に登場するまでは、プログラミングの実力というものがどのようなものなのか、ITの世界で実力がある人がどんな人なのか、誰も知らなかったはずです。

一方、銀行員の仕事ははるか以前から存在しており、どんな人が銀行員として実力があるのかすでに皆が知っています。つまり「実力」という概念を持ち出している限り、それは既存のものしか対象にならないことを意味しているわけです。

実力という言葉の意味は?

この考え方が成立しないのは、「実力」という言葉を「結果」という言葉に置き換えた場合だけです。しかし、実力主義という言葉が、必ずしも結果がすべてという意味で使われているわけではありません。

既存のものには、必ず先行者が存在しており、既存のものに取り組むということは、先行している組織や人に「使われる」ということを意味します。そこで得られる成果などたかが知れているでしょう。

常識を越える成果を上げるためには、他人がまだ取り組んでいない「未知」のものに積極的にチャレンジし、自分がその第一人者になる必要があります。

そのような世界では「実力」がどのようなものなのか誰も分からないし、そうであればこそ、成功した場合には大きな利益を得ることができるわけです。そして、このような新しい分野で成功するためには、ある程度の「運」はどうしても必要なことなのです。

筆者は実力で結果を勝ち取ることについて決して否定しているわけではありません。しかし「実力で勝ち取ることが重要」という言葉の中には、無意識的に、既存のルールに従って競争し、上の立場の人から評価してもらうという意味が含まれています。

そこにこだわり過ぎていると新しい機会を見失ってしまう可能性があることを筆者は指摘したいのです。