経済評論家 加谷珪一が分かりやすく経済について解説します

  1. スキル

大坂なおみ選手に関する誤報で明らかになった新聞への依存度

加谷珪一の情報リテラシー基礎講座 第35回

 テニスの大坂なおみ選手の肌が実際によりも白く表現されていることが問題視された件で、大坂選手のコメントが誤報であったことが明らかとなりました。

 一連の出来事は、日本社会の特殊性を如実に示しており、様々な観点からが議論ができると思いますが、本コラムのテーマである情報リテラシーという観点においては、やはり新聞報道に対する日本人の過度な依存があらためて示されたといってよいでしょう。

フェイクニュースに近いレベル

 日清のアニメCMで、肌が白く表現されていたことに関して、朝日新聞は大坂選手のコメントとして「なぜ多くの人が騒いでいるのか分からない。この件についてはあまり関心が無いし、悪く言いたくない」と報道しました。
 しかし実際の発言は「騒ぐ人たちのことも理解はできる。この件についてはあまり気にしてこなかった。答えるのはきちんと調べてからにしたい」という内容でした。

 また「私の肌が褐色なのは明らか。次に私を描くときは、報告してもらえたら」とも発言していましたから、何故、問題になっているのか分からない、といったニュアンスとは正反対だったわけです。朝日新聞に何らかの意図があったのか、単なる語学力の問題なのか、いずれにしても誤報であり、言い換えればフェイクニュースに近いレベルといってよいでしょう。

 肌が白く表現されていたことの是非については、多くの識者が様々な見解を披露していますし、誤訳についても、なぜこのような方向性になってしまうのかという根本的な問題については、ここでは取り上げません。しかしながら、本コラムのテーマである情報リテラシーという観点ではっきりしたのは、やはり新聞報道に対する依存度の高さでしょう。

 この報道の後、国内は大論争となりましたが、すべては新聞記事を前提に議論が行われていました。もちろん、これは筆者にとっても同じです。
 筆者は、この報道に接した瞬間、米国での経験が長い大坂選手が、ホワイトウォッシュ(非白人を白人のように描くこと)の問題に無関心なはずはなく、「なぜ騒いでいるのか分からない」との発言内容には若干の違和感を感じました。

 筆者は職業柄、常に新聞記事についてはファクトチェックしているのですが、正直なところ、まさかここまでひどいレベルの誤報になっているとは考えず、違和感は感じたものの、オリジナルの会見をチェックすることまではしませんでした。議論していた多くの識者も同じ感覚だったと思います。

Photo by Peter Menzel

Photo by Peter Menzel

日本人はマスメディアに対して過度な思い入れを持っている

 日本では官庁や企業などが何かを発表する際、Webサイトなどには掲載せず、新聞社だけに情報を流すケースがたくさんあります(しかも、多くの人がそれに気付いていません。普段、激しくマスコミ批判をしているような人ほど、新聞社が独占的に流した一方的なニュースを政府による正式発表だと思って、ツイッターなどに得意満面で掲載しています)。

 事件報道についても、ほとんどが警察によるリーク情報が元になっており、もし新聞報道がなければ、事件の情報が公になることはほとんどないというのが現実です。つまり、日本ではもっとも重要な一次情報の多くを新聞に依存してしまっているわけですが、今回の出来事は、ネットが普及してもまったく状況が変わっていないことを示したといってよいかもしれません。

 ではなぜこうしたメディア依存が発生してしまうのでしょうか。筆者は日本人のマスコミに対する過度な(そして無意識的な)期待感が大きく影響していると考えています。

 日本ではここ数年、マスコミに対するバッシングが顕著となっており、毎日のようにあちこちでマスコミ批判が行われています。一般的な読者はもちろんのこと、言論人や経営者、さらに大きな権力を持っているはずの政治家までもが、何かあるとすぐにマスメディアの報道が悪いといった批判を行っていますが、これは日本独特の風潮です。

 あらゆる階層の人がマスメディアの報道に対してこれだけの「情熱」を傾けているというのは、少々、異様な光景であり、マスメディアに対する無意識的で、そして過度な思い入れが存在していることのウラ返しでもあります。つまり、多くの人の潜在意識の中に、一定の権威や体制を持つ組織に情報を一元管理して欲しいという、一種の甘えがあるわけです。

 こうした甘えがあると、結果的に新聞社による一次情報の独占を許してしまいますし、新聞報道を疑問視しない、あるいは記事の主張だけに過剰反応する、という結果にもつながってくるでしょう。つまりマスメディアを批判している人は、自分で自分の首を絞めているのですが、それになかなか気付きません。

 今回の一件は、情報をうまく使いこなすためには、一次情報の多くを取り扱う新聞報道について、常に一定の距離を置く必要があるという現実をあたらめて示す結果となりました。新聞報道と一定の距離感があれば、事実とは違った方向に誘導されるリスクも減りますし、自分の趣旨と合わない記事に対して、過度に激高する必要もないはずです。

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