東芝の不正会計問題は、日本のコーポレートガバナンスがまったく機能していなかったという現実を露呈してしまいました。とりあえず責任を取って歴代3社長は辞任しましたが、ここは日本経済の長期的信頼性という意味で大きな分かれ道です。しっかりとした自浄能力を発揮し、問題を根本的に解決できるのか、日本人の底力が試されています。
制度だけは完璧に整えたが・・・・
東芝は、社外役員制度の導入と、委員会設置会社への移行を済ませており、形式的にはコーポレートガバナンスの体制が整った企業ということになっていました。しかし、不正会計の状況を調査した第三者委員会による報告書には、こうしたガバナンス体制がほとんど機能していなかった実態が記されています。
同社の監査委員会では、1人の委員が執行側に対して会計処理について懸念を伝えていたそうですが、委員会としてこの問題を正式に取り上げることはなかったそうです。また、損失が発生することが判明していた重要案件について、取締役会で議論された事実はなかったとも指摘しています。
新聞報道でも同じような実態が明るみに出ています。2012年のある取締役会では、社外役員の1人から業績見通しの不自然さについて指摘があったものの、執行側から十分な説明はなく、取締役会としても議論はされませんでした。形式的にはガバナンスの仕組みを導入したものの、中身がまったく伴っていなかったわけです。
株式会社の制度では、会社の所有と経営が厳密に区別されています。会社のカネは原則として株主のものですから、株主から経営を委託された経営者は厳格にそれを運用しなければなりません。虚偽の決算内容で投資家から資金を集めるという行為は、投資家を騙すことと同じですから、本来、厳しい処罰の対処となるものです。
社外役員制度や監査委員会の制度は、経営陣が、株主から預かったお金をしっかりと運用し、利益につなげているのかを監視するための仕組みです。社外役員に対して、社長のクビを飛ばすことができるほどの強い権限を与えているのはこうした理由からです。
しかし日本の場合、会計上の数字を調整することが、株主に対する詐欺的行為であるという認識はかなり薄いというのが現実です。今回の一連の出来事について、単なるモラルの問題としてとらえる論調も少なくありません。日本国内だけで完結するガラパゴスな話でしたらそれでもよいのですが、ここにはグローバルな問題が絡んできます。事はそう単純ではありません。
こうした問題の放置は、ジワジワと経済を蝕んでいく
安倍政権は成長戦略の柱の一つとしてコーポレートガバナンス強化策を提唱しています。日本市場は他の先進国に比べ透明性が低いことから、海外の機関投資家は、これまで積極的に日本株への投資は行ってきませんでした。
マクロ的な環境を考えると、日本は高齢化で貯蓄率が低下してきており、近い将来、海外からの資金に頼らざるを得ない日がやってくることはほぼ確実です。閉鎖的な市場環境を改善し、海外から健全な投資資金を呼び込むことは、日本にとって極めて重要な政策課題なのです。
実際、安倍政権による改革をきっかけに、一部の海外機関投資家が本格的に日本市場への参入を検討し始めており、今後の有力な株の買い手として大きな期待が寄せられていました。しかし今回の東芝問題は、この動きに水を差す結果となってしまうかもしれません。
欧米並みのガバナンス体制を導入しても、当事者にそれを守る意識がなければ、制度は機能しません。それでも市場全体が自発的にこの問題に取り組み、自浄作用を発揮すれば、日本に対する印象はだいぶ違ったものになるでしょう。
しかし、今の国内状況を見てみますと、あらゆる方面で、この問題をこれ以上大きくしたくないという雰囲気が蔓延しているように思います(実際、本来の会計用語である不正会計という言葉が意図的に回避され、不適切会計と表現されていることからもそれは明らかです)。これは市場に対する信頼性という点で、大きなマイナス要素となってしまいます。
現在の株式市場は、公的年金や日銀による買いで上昇しているという側面は否定できません。一部からは官製相場とも揶揄されていますが、日本のガバナンス改革が海外から評価され、しっかりとした投資資金が入ってくれば、官製相場も、やがて本物の相場に移行することができます。
ところが、今回の問題で海外の機関投資家が日本株への投資に躊躇するようになると、このシナリオ自体が狂ってしまうことにもなりかねません。
日本郵政グループの上場をきっかけに、ゆうちょ銀行の資金を株式投資にシフトさせるというプランも検討されているようですが、海外投資家による買いを、ゆうちょ銀行がすべて肩代わりするというのはかなり無理のある話です。
今回の不正会計問題を、これ以上追求せず、うやむやに処理したとしても、短期的にはそれほどの影響はないでしょう。
しかし、問題の本質を明らかにしないという行為は、長期的にジワジワと経済を蝕んでいきます。日本人は「底力」という言葉が大好きですが、本当の意味で「底力」が問われているのは、まさに「今」なのです。