経済評論家 加谷珪一が分かりやすく経済について解説します

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衆院解散の「バンザイ」をめぐる考察

 2014年11月21日、とうとう衆議院が解散となりました。解散詔書が読み上げられた本会議では、伊吹文明衆院議長が解散詔書が読み終えないうちに万歳三唱が起き、伊吹氏が「万歳はここでしてください」と発言する珍場面もありました。
 解散での万歳は、恒例行事となっているのですが、議員がクビになってしまうのに、なぜ万歳なのかという疑問の声もあるようです。

今回の万歳三唱はフライング?
 伊吹議長は21日の本会議において「日本国憲法第7条により衆議院を解散する」と解散詔書を読み上げました。その後、御名御璽、日付などの朗読が続くのですが、次の言葉までに少し間があったため、議員の人たちが万歳を始めてしまいました。
 伊吹氏がすべて読み上げた後「万歳はここでしてください」と発言し、場内は爆笑となり、あらためて万歳三唱となったようです。

 ただ、すべてを読み上げてから万歳という伊吹氏の見解は、必ずしも正しいとはいえないようです。

 前回の解散は2012年、民主党の野田内閣の時ですが、当時、議長であった横路孝弘氏は、「日本国憲法第7条により衆議院を解散する」とだけ宣言し、直後に万歳が起こっています。横路氏は御名御璽、日付などを読み上げていません。さらにその前の2009年の解散(議長は河野洋平氏)も同様でした。

 昭和30年代にはすべて読み上げてから万歳三唱という時もあったようですが、さらに遡って戦前の帝国議会の時代には、すべてを読み上げずに万歳するケースが多くなっています。

 過去のケースでは、時代や状況によって万歳のタイミングはバラバラなようです。したがって伊吹氏が正しいとも、フライングした?議員が正しいともいえないことになります。ただ、割合からいうと、すべてを読み上げずに万歳をするというケースが圧倒的に多くなっていますから、伊吹氏の方が少し分が悪いかもしれません。

 万歳のタイミングはともかくとして、解散でなぜ万歳をするのか?という疑問をよく耳にします。今回の解散でも、民主党など野党議員や与党でも小泉進次郎議員のように万歳をしなかった議員もいます。
 解散されてしまうと、議員はクビになってしまうわけですから、なぜ喜ぶの?という声が出るのも当然のことかもしれません。

kaisanbanzai

国会は権力闘争の場であることを考えると
 解散で万歳をする慣行は、帝国議会の時代に遡りますので、なぜ万歳なのかという理由は、ハッキリしていません。ただ、いくつかの観点から想像することは可能です。

 首相が解散を決断する時というのは、内閣がさらに政権基盤を強化しようという時(今回がそれに該当します)か、追い込まれて退路を断たれてしまった時のどちらかです。

 政権基盤を強化する解散なら、与党は自信があって選挙に望むわけですし(少なくとも表向きは)、選挙で勝てば当選回数が増えるわけですから(議員にとって当選回数は命の次に大事)、万歳三唱をして選挙戦に臨むというのは自然なことでしょう。逆に追い込まれての解散であれば、野党にとっては政権を崩壊させたわけですから、万歳をする意味があります。

 この時、損する側の議員はどうなんだ?と言う疑問がわくかもしれませんが、ここは政治の場であるという点を考慮に入れるべきでしょう。
 政治にはいろいろな側面がありますが、究極的には国家運営をめぐる権力闘争の場です。国会議員は、権力を求めて国会に集まっているわけで、仮に自分が不利な状況でも、余裕綽々と万歳できるようでなければ、とても務まる仕事ではないでしょう。

 今回の解散には大義がないという批判も出ているようです。安倍首相がこのタイミングで解散したのは、今後の政治日程や景気動向などをふまえ、現時点での解散がもっとも自分達にとって得になると判断したからです。その意味では、まさに私利私欲、党利党略の解散といえます。

 しかし、そもそも政治という権力闘争の場において、党利党略が存在しないこと自体がおかしな話です。政治というものは、こうした汚い利害関係の中から、どうやって国民が求める政策を実現していくのかに取り組むゲームといえます。

 衆議院の解散は首相にだけ与えられた権限(そうでないとする学説もありますが、戦後憲法が公布されてから70年間、首相にのみ与えられた権限として機能してきた歴史的事実は重い)ですから、理由は何であれ、首相には自由に衆議院を解散することができると考えるべきでしょう。

 その解散に大義があるのかないのかについては、国民は選挙という形で意思を表明するのが民主国家として最もふさわしいやり方です。

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