アベノミクスとはどういう政策だったのか?

再検証「アベノミクス」第1回

 このところアベノミクスや量的緩和策というキーワードを目にする機会が目に見えて減ってきました。アベノミクスは一種のブームでしたから、やむを得ない面もありますが、政策をこうした情緒で判断することは、決してよい結果をもたらしません。
 アベノミクスの限界が囁かれている今こそ、これがどのような政策で、現状はどうなっているのか、再検証する必要があるでしょう。

アベノミクスを構成する3本の矢

 よく知られているようにアベノミクスは3本の矢で構成されていました。1本目は「大胆な金融政策」で、これは日銀の量的緩和策のことを指しています。2本目は「機動的な財政政策」で、具体的に言うと大規模な公共事業です。そして、3本目となるのが「成長戦略」です。

 政権発足当初、アベノミクスの中核をなしていたのは、1本目の量的緩和策と3本目の成長戦略でした。

 量的緩和策は、日銀が積極的に国債を購入することで、市場にマネーを大量供給し、市場にインフレ期待(物価が上昇すると皆が考えること)を発生させるという政策です。期待インフレ率が高くなると、実質金利(名目金利から期待インフレ率を引いたもの)が低下しますから、企業が資金を借りやすくなり、設備投資が伸びるというメカニズムが想定されていました。

 日本では不景気が長引き、デフレと低金利の状態が続いていました。名目上の金利は、これ以上、下げられませんから、逆に物価を上げて、実質金利を引き下げようとしたわけです。

 しかし、物価が上がる見通しがついただけでは、経済が順調に成長軌道に乗るわけではありません。持続的な経済成長を実現するためには、日本経済の体質を根本的に変える必要があります。それが3本目の矢である成長戦略です。

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初期のアベノミクスは構造改革路線だった

 当初のアベノミクスでは、硬直化した日本経済の仕組みを変革すること(分かりやすい言葉で言えば構造改革)を成長戦略の中核として位置付けていました。つまり初期のアベノミクスは小泉構造改革の延長線上に位置しており、これに量的緩和策が加わった形態だったわけです。

 しかしながら、構造改革を実施すると、一部の人は転職を余儀なくされたり、これまでもらえていた補助金が消滅するなど、大きな痛みを伴うことになります。
 また、構造改革が一定の成果を上げるまでには、それなりの時間が必要となります。その間のショックを最小限にする措置として掲げられていたのが2本目の財政出動ということになります。

 アベノミクスは、金融政策でデフレからの脱却を試み、財政出動で当面の景気を維持し、その間に痛みを伴う構造改革を実施するという流れだったことが分かります。

 ここで重要なのは、量的緩和策や財政政策はあくまで一時的な対応策として位置付けられていたという点です。構造改革については賛否両論がありますが、少なくともアベノミクスのスタート時点においては、構造改革こそが経済成長を実現するための本丸という認識だったのです。

 ところが、成長戦略の中核であった構造改革はほとんど進まず、今ではほぼ消滅した状態にあります。これによって、それぞれの矢の位置付けも当初とは大きく変わっていくことになります。