佐世保女子高生殺人事件は論理的犯罪?

 長崎県佐世保市の女子生徒殺害事件について、加害者の女子生徒に関する情報が徐々に明らかになってきています。メディアでは女子生徒の残虐性といった観点でセンセーショナルに報道されていますが、このコラムでは少し別な切り口で考えてみたいと思います。

性的サディズムによる犯行?
 加害者の女子生徒は、警察に対して「遺体をバラバラにしたかった」という趣旨の供述を行っているそうです。また、「ネコを解剖したことがあり、人間でもやってみたかった」とも供述しています。

 実際、加害者の生徒は、首や手首に加えて、胸から腹にかけても大きく切り開こうとしたようです。また、被害者に対して「恨みはなかった」とも供述しており、被害者とのトラブルも確認されていません。やはり怨恨などによる犯罪ではないと考えた方がよいでしょう。

 欧米では、人に苦痛を与えることで性的な興奮を覚える、いわゆる「性的サディズム」による犯罪が散見されます。

 こうした犯罪者のやっている行為は異常なことなのですが、犯人は論理的に考えるタイプが多いという特徴があります。
 場合によっては、自分のどこが異常なのかについて論理的に理解しており「衝動を抑えようとしたが出来なかった」というような、冷静な自己分析を行ったりします。

 今回の犯人は、母親が亡くなった時、再婚しようとした父親の寝込みを襲って金属バットで殴ったといわれていますから、論理的ではない幼稚な攻撃性も見られます。

 ただ、その後の小動物の解剖や犯行動機の供述内容などを考えると、やはり論理型の犯罪者と考えてよさそうです。

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論理型の犯罪が増えてくる?
 論理型の犯罪は、基本的にロジックに基づいていますから、下手をすると行き着くところまで行ってしまう可能性があります。しかし、論理的であるが故に、その犯行を未然に防ぐ手段を考えることもできるわけです。

 一方、論理的ではない犯罪の場合には、その場で終わってしまうことが多いので、いわゆるシリアルキラーのように犯罪を継続する可能性は少なくなります。しかし、こうした犯罪は、事前に発生を予見したり、予防することは難しいでしょう。

 日本においてこうした論理型犯罪が少なかったのは、よい意味でも悪い意味でも、ムラ社会的な共同体が形成されていたことが大きく影響していると考えられます。

 ムラ社会では、周囲と異なる行動や思考そのものが、否定や制裁の対象となりますから、自身の論理を追求するという知的行為は行われにくくなります。論理的な犯罪は、個人主義が確立している社会の方が顕著になるのかもしれません。

 ただ、こうした日本の共同体システムは、好むと好まざるとに関わらず崩壊していく運命にあります。今後はこうした論理的犯罪は増えることはあっても、減ることはないと考えられます。

 今回の犯人がアニメ好きだったという点で、アニメと結びつけて分析する話も出ていますが、そう単純な理屈ではないでしょう。こうした犯罪に社会的な背景があるのだとすると、もっと大きな社会的要因が影響しているはずです。