経済評論家 加谷珪一が分かりやすく経済について解説します

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日本の街はうるさいのか?

 中国人のあるブロガーが、日本での経験をつづった文章がちょっとした話題になっています。内容は「日本に行ったら、一日中サイレンが鳴りっぱなし」であり「東京って治安がものすごくいいはずなのになぜ??」というものです。

けたたましいサイレンの音は救急車
 日本は国際的に見て犯罪発生率が低いことで知られています。犯罪を研究する国際学会などでは、外国人から「日本は政府の規制が過剰で、私生活に国家が干渉しているのではないか?」といった疑問が出るほどです。

 したがって事件が多発してパトカーのサイレンが鳴りっぱなしになっているということはおそらくないでしょう。このブロガーの発言を取り上げた中国関連ニュースサイトでは、救急車のサイレンが原因だろうと分析しています。
 統計上も、パトカーの出動回数に比べて消防車や救急車の出動回数の方がはるかに上回っていますので、この分析は当たっていると思われます。

 実際、日本では救急車両が、けたたましいサイレンを流して走っており、さらには、隊員が大音響で「緊急車両が通ります。緊急車両が通ります」と絶叫しています。一部のブログなどでは、こうした行動は少し過剰ではないかと指摘する意見も出ているようです。

 確かに、大音量のサイレンに加えて、「緊急車両が通ります。道を空けて下さい。ご協力ありがとうございます。緊急車両左折します。赤信号通ります」と延々と大音響で絶叫している様子は、少々、ヒステリックな感じがします。根拠はありませんが、こうした雰囲気は震災以後、非常に顕著になっているようにも思います。

 救急車両のアナウンスの是非はともかくとして、日本の街は、無意味なすさまじい騒音に包まれているというのは、かなり以前から指摘されていることです。
 鉄道の駅では、自動の音声アナウンスが何度も流れ、そこに割り込んで、今度は、駅員が同じ内容をさらに大音量で案内しています。駅のホームではまともに会話ができる状況ではありません。

 基本的に欧米の街にはこうした大音響のアナウンスはなく、人々もあまり大声でしゃべりません。一方、アジアは基本的にどこの国に行っても、街はかなりの騒音になっていることがほとんどです。
 本来であれば、かなりうるさい部類に入る中国の人が、日本の街をうるさいと感じたというのは、日本の騒音も相当なものなのかもしれません。

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無意味な大音響アナウンスは未熟さの象徴?
 街が猥雑でうるさい方がよいのか、そうでない方がよいのかは人によって好みが分かれるものであり、いい悪いの問題ではありません。
 しかし、無意味なアナウンスが一方的に大音量で流される背景には、近代国家としての未熟さがあると指摘する声もあります。

 哲学者の中島義道氏は著書「うるさい日本の私」で、こうした日本社会の未熟さを批評しています。彼は、こうした無意味な騒音の発生源に対して、「なぜ意味のないアナウンスを繰り返すのか」といった質問を次々にぶつけていきます。
 音の発生源の担当者からは「頭のおかしい人」と思われても、ドンキホーテのごとく、異議申し立てを続け、その顛末を記したのが本書です。

 中島氏はこうした行動を面白くシニカルに書いているので一部からは「ただのおかしな人」と見られています。しかし、彼が主張しているのは、日本社会には本当の意味での対話(論理的なやり取り)がなく、それぞれが自分の感情を一方通行で主張しているだけにすぎないという点です。

 彼の主張は本質を突いています。日本社会には感情的な対立はあっても、論理的な対立はあまり存在しません。
 このため、論理的な解決策を見出すことができず、危機に際して立ち往生してしまうことがよくあります。震災は経済的発展の影に隠れていた、こうした実態を浮かび上がらせたかもしれません。

 望むと望まざるとに関わらず、これからの社会は、さらに価値観が多様化してくるでしょう。

 様々な価値観を持った人が共存していくためには、他者に対して、感情的に嫌いであっても、論理的に交渉するという姿勢が必要になります。これは共同体的なムラ社会ではなかなか実行できないものです。

 こうした行動ができるようになってくれば、もしかすると、街中の無意味な騒音は消えてなくなるのかもしれません。

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