どこからを低所得者と定義するのか?(後編)

 前回は低所得者の定義がはっきりしていないという現実について解説しました。豊かさや貧しさというのは、人によって感覚が異なるケースがあり、こうした感覚の違いが、議論をさらに感情的にしてしまいます。
 しかし、人によって感覚が違うといっても、マクロ的にはある程度の傾向を導き出すことが可能ですから、議論をする際には、こうした指標を上手に活用することが重要となります。

どの所得水準から何を諦め始めるのか?

 一般に、人々の生活水準は所得が低くなるにつれて徐々に下がっていきます。ある水準以下になると極端に生活水準が悪化するという「しきい値」が存在しており、このラインがどの程度なのかはとても重要な意味を持っています。逆にいえば、このしきい値を把握することができれば、貧困問題をより的確に理解できるはずです。

 図は、社会的必需項目(社会生活を営む上で必須と多くの人が考える支出)をどの程度、諦めているのかについてグラフ化したものです。数字が大きいほどそれを諦めている割合が高いことを示していますが(剥奪指数と呼ばれる)、これを見ると、世帯収入(厳密には等価所得)が360万円と220万円の部分で大きな変化があることが分かります。

 220万円の以下の世帯になると、数字が急激に上昇していますから、必需項目ですら諦めざるを得ない状況であることが理解できるでしょう。前回、公的な視点の対象となる境目の年収は200万~250万円であるという話をしましたが、この結果とは整合性が取れているようです。

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360万円以下から実質的な生活水準の低下が始まる

 一方、こうした支援の対象にはなにりくいですが、現実には年収360万円以下から、必須項目を諦める世帯が増加しています。貧困にはカテゴライズされない所得層でも、実質的な生活水準の低下が始まっていることが分かります。

 医療や保険、通信手段、浴室、トイレ、暖冷房などは、誰にとっても欠かすことができないものですから、間違いなく必須項目といえるでしょう。しかし、趣味やスポーツ、子供へのクリスマスプレゼント、家族旅行、玩具などについては、絶対に必要と考える人の割合は低下してきます。

 年収が下がるにつれ、こうした優先順位が低い支出からの切り詰めが始まり、やがて、必須の支出についてもカットせざるを得なくなるります。360万円という年収は貧困ではありませんが、いろいろなものへの諦めが始まる最初の段階と考えてよさそうです。

 この数字は日本の平均年収に近い数字ですが、先進諸外国の平均年収は総じて日本よりも高くなっています。200万円以下の層に支援が必要なのはもちろんですが、多少の努力をすれば、誰でも360万円以上の年収が得られるような経済を実現していかなければ、本当の意味で貧困問題を解決することはできません。