富裕層の顔ぶれは時代によって変化する(1950年代から60年代)

お金持ちを科学する 第4回

 富裕層の顔ぶれは時代によって大きく変わるのが常です。戦後日本で富裕層の顔ぶれがどう推移してきたのか考えることで、お金儲けのメカニズムをより的確に理解できるはずです。

戦後の産業政策で石炭長者が続出

 1950年代の長者番付で目立つのは炭鉱オーナーです。終戦後、日本は極端なモノ不足となり、激しいインフレが起こっていました。
 こうした状況を打開するために、政府は基幹産業である鉄鋼とそれを支える炭鉱業にすべてのリソースを集中する政策(傾斜生産方式)を採用し、炭鉱には特別な支援が与えられました。

 特定産業に偏って資金配分を行ったため、トヨタ自動車ですら資金不足から倒産しかかったともいわれる程、この政策は激しいものでした。その結果、石炭産業は大変な活況となり、各地で億万長者が続出したわけです。
 ちなみに現在、財務大臣を務めている麻生太郎氏は、九州を拠点とする麻生財閥の出身ですが、同財閥の基礎となったのは筑豊の炭鉱事業でした(麻生炭鉱)。

 しかし、こうした活況もつかの間、石炭から石油にエネルギーがシフトし、石炭長者の多くは姿を消していきます。
 NHKの元ワシントン支局長だったジャーナリストの手嶋龍一の父親も、かつては炭鉱のオーナーだった一人です。石炭産業が没落してしまったため、父親の没後、手島氏の手元にはそれほど多くの資産は残らなかったそうです。しかし、手島氏と母親は、少しばかり残った資金をもとに株式投資を行い、「石炭の次は石油だ」ということでアラビア石油にすべての資金をつぎ込みました。

 その後、オイルショックなどを背景に、同社株は大暴騰。NHKに入局する時点で、すでに生活に困らない程の資金を持っていたそうです。手嶋氏の話は、時代が変化する時は大きなチャンスであるということを私たちに教えてくれます。

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松下幸之助と本田宗一郎が登場

 炭鉱オーナーとともに当時の長者番付を賑わしていたのは電機メーカーの創業者です。日本人の誰もが知っている、パナソニック創業者の松下幸之助氏と、その義理の弟で三洋電機創業者の井植歳男氏は番付の常連でした。

 松下氏がパナソニック(旧松下電器産業)を創業したのは戦前ですが、家庭用電球の二股ソケットを大ヒットさせ、現在のパナソニックの基礎を作りました。

 幸之助夫人の弟であった井植氏は当初はパナソニックの専務でしたが、独立することになり、三洋電機を創業しています(結局、三洋は65年後の2013年に再びパナソニックに吸収されてしまいました)。高度成長時代ですから、電機メーカーの創業者が億万長者となるのは、自然な流れといってよいでしょう。

 松下氏はその後も長者番付に顔を出し続けていましたが、1960年代に入ると、本格的な自動車時代の到来を反映し、ブリジストン創業家である石橋一族の名前やホンダ創業者である本田宗一郎氏などの名前も出てくるようになります。

 これに加えて、日本では建設ラッシュが続き、鹿島守之助氏や大林芳郎氏などゼネコンのオーナー一族の名前が頻繁に登場するのも、この時代ならでは特徴といってよいでしょう。

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