経済政策が水掛け論になってしまう理由

 安倍首相がアベノミクスを問う解散を実施したことで、アベノミクスそのものの是非が問われようとしています。
 これまでもアベノミクスの是非をめぐっては、様々な議論になっていたのですが、賛成派と反対派で水掛け論になっている部分があり、多くの人にとって、不毛な議論になっていたのではないかと思います。もう少し、建設的な議論はできないものでしょうか?

学術的に正しいことと、経済の現場は別
 経済政策をめぐる議論が水掛け論になってしまうのは、学術的な議論と実際の政策面での議論がしばしば混同されてしまうからです。学術的な立場で論じる人は、基本的にはその学説に基づいて話をしますから、基本的にそれが正しいということを前提にします。

 しかし実体経済の現場というのはそうではありません。学術的には相反する現象が共存したり(少なくとも共存しているように見えたり)、学術的な厳密性がなくても、経験則的に採用される手法もあります。

 したがって経済政策について議論する際には、学術的な議論と、それを実施する現実社会についての議論を、分けて考える必要があります。このあたりが混同されてしまうので、自説は絶対だという主張がぶつかり合って、対立するだけという状況になってしまうわけです。

 アベノミクスの政策というのは、学術的には貨幣数量説という立場に基づき、それに合理的期待形成という理論が結びついて出来上がっています。経済の動きというものは基本的に貨幣現象であり、インフレ期待を持たせる政策を行えば、実質金利が低下し、それにともなって支出や投資が増え、経済が成長するという考え方です。

 ただ、学術的にはこれに反対する人もいます。彼等は、経済の動きは貨幣ではなく、個々の人間の行動やイノベーションなどが決めるものであり、貨幣をいじっても実体経済は変えられないと主張しています。
 多くの人は、インフレ予想を元に行動を決めているわけではなく、効率的にインフレ期待を国民に持たせることは難しいと主張する人もいます。

 確かに「物価が来年2%上がりそうだ。今の金利は1%なので、実質金利はマイナス1%になる。だからお金を借りよう」とは考えない人が多いでしょう。何となく景気がよさそうだからマンションを買っておくかといったかなり曖昧な判断基準で行動を決めているはずです。

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ケインズ理論ができる前からケインズ政策は存在した
 しかし、こうした「何となく」という雰囲気が、マクロ的な貨幣の動きに影響を受けていないとは限りません。やはり人間の個別の行動は、貨幣全体の動きの影響を受けているかもしれないのです。

 結局のところ、どちらが学術的に正しいのかは分かりませんし、証明のしようもありません。現実問題として、どの政策を採用すると、どういう事態が発生するのか、そしてその影響はどの程度なのかという、推定も含めた議論の中で最終決断していくしか方法はないわけです。ここでは、どちらが学術的に間違っているのかを議論してもあまり意味がないと考えるべきでしょう。

 戦前の大蔵大臣で、昭和恐慌から景気を回復させた立役者である高橋是清は、現在確立しているマクロ経済学が存在する前から、ケインズ的な財政政策や量的緩和策を実施し、一定の効果を上げてきました。これは非常に重要な歴史的事実です。

 理論的にはともかく、量的緩和の実施によって期待インフレは高まったことは事実と考えてよいでしょう。すでに多くの人が、今後は物価が上がると考えています。
 
 ただそれがプラス評価なのかマイナス評価なのかは人によって異なります。皆がプラスに考えれば、積極的にお金を使い、実際に経済成長が実現するかもしれません。しかし物価が上がって生活が苦しくなると皆が考えれば、逆に支出を絞ってしまうでしょう。そうなってしまうと、思った通りに経済は成長しません。

 経済の現状について議論する場合、どこまでが経験則で、どこまでが仮説なのかについて共通認識を持ち、学術的に見てどう解釈できるのか、現実的な政策としてどんな対応をすべきなのかという2つのステップを踏むことが大事です。
 このような落ち着いた論争が行われるのであれば、経済政策をめぐる意見対立も、非常に意義のあるものとなるはずです。