経済評論家 加谷珪一が分かりやすく経済について解説します

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さくらんぼ計算の論争から見えてくること

 小学校の算数における「さくらんぼ計算」の是非が話題になっています。
 このところ、学校のテストの採点をめぐって問題になるケースが増えているのですが、たいていの場合、その方法自体に問題があるのではなく、手段と目的を取り違えるという、日本人独特の思考回路が弊害をもたらしています。本当に学習すべきなのは、その思考回路なはずですが、ここはなかなかうまくいかないようです。

新しい方法を導入すること自体は悪い話ではないが・・・

 「さくらんぼ計算」とは、例えば「6+7=13」という式があった時に、6の部分を「3+3」などに分解するという手法です。「3+3+7」とすれば、「3+7=10」であることは誰でも分かるので、「6+7=3+3+7=3+10=13」と段階を踏んで、答えを導き出します。
 つまりケタが上がるという部分を直感的に理解できない児童を念頭に、数字を分解し、段階を踏むことで計算できるようにしようという趣旨と思われます。

 筆者の大学の専攻は原子力工学で、典型的な理工系でしたが、個人的にはこうした計算をした記憶はありません。しかし、段階を踏むことで計算ができるようになるならそれはそれでよいことですから、新しい手法が実践されるというのは悪い話ではないでしょう。

 しかし「さくらんぼ計算」を行う場合、どの数字を分解するのかについては、数学の本質的な性質上(加算については交換法則が成立する。つまり順番は関係ない)、本人のセンスに任されてしまいます。したがって、教え方によっては、どこを分解したらよいか分からず、かえって混乱する児童も出てくるでしょう。実際、ネット上の反応を見ると、子供が混乱したというケースがあったようです。

 ここまでであれば、あくまで計算手法の一つであり、教え方の問題ですから、その是非について目じくらを立てるほどではありませんが、気になるのは、ネットの一部に、この手法を使わずに計算したところ「バツ」にされたという情報が出ていることです。

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手段と目的の取り違えは日本人のお家芸

 実は似たような話が以前にもありました。昨年、小学校のテストで5×4は正解になり、4×5は不正解になるというケースがネットで報告され、侃々諤々の議論となりました。

 4×5がバツになるというのは、教員が教えた通り(このケースでは5つでひとかたまりの集団が4つあるという自然言語的な意味)に書かないと正答とはいえないという理屈のようです。確かに高等数学の一部では、積算でも交換法則が成立しない場合がありますが、これは小学校の話です。一般的な数学の世界では積算でも交換法則が成立しますから、片方を不正解にするのは、やり過ぎだと思われます。

 理科の授業においては「影の向きが変わる理由」について「地球が動いているから」という回答がバツになったという話題もありました。理由は、その段階では地動説は教えていないので、それを書くのは不正解ということだそうです。

 一連の話は、典型的な「手段と目的の取り違え」ということになるでしょう。理解度を高めるための手段だったものが、それが絶対的な目的となり、そこに合致しないものは排除され、本末転倒な結果をもたらします。

 日本人は手段と目的を取り違える傾向が極めて強く、大企業の戦略や国の政策でも手段と目的の取り違えは日常茶飯事です。本来であれば、この思考回路の部分こそ、教育で改善すべきところですが、そう簡単ではありません。日本の教育システムが暗記中心なのも、論理的な思考回路が苦手であることと関係していると思われます。

 いつの時代も、突出して成績のよい児童というのは一定数、存在しており、まだ習っていないことを回答に書き込むケースは珍しくありません。そのような児童に対しては、バツではなくマルを付けた上で、「君はよく分かっているね。ただ、これはまだ習っていないことだから、できれば、習った範囲で回答してね」と言えば済む話です。

 しかし、こうした臨機応変な指導をするためには、教員に高い論理性や対人スキルが求められますから、現実には難しいことなのかもしれません。

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