トヨタ自動車が国内販売体制の抜本的な見直しを開始しました。これまでは販売店の系列ごとに車種を分けていましたが、すべての販売店で全車種を販売できるようにします。トヨタの歴史の中でも極めて大きな戦略転換ですが、背景にあるのは深刻な国内自動車市場の縮小です。
「いつかはクラウン」というフレーズにすべてが集約されていた
これまで同社は、販売店の系列ごとに車種を分け、車種ごとに個別の販促活動を行ってきました。これは戦後のトヨタにおける経営の根幹ともいうべき重要な販売戦略なのですが、その原型は米GM(ゼネラル・モーターズ)にあります。
GMは、圧倒的なシェアを誇っていたフォードに対抗するために事業部制を採用。各事業部が利用者層に合わせて独自のブランドを持ち、最適なマーケティングを実施するという斬新な経営手法によって、世界最大の自動車メーカーにのし上がりました。
トヨタは事業部制こそ採用しませんでしたが、社会階層に合わせて車種のブランドを構築するというGM流のマーケティング手法を日本に導入。若者向けのカローラ、ファミリー層向けのコロナ、中間管理職向けのマークⅡ、エグゼクティブ向けのクラウンといった、一連のトヨタ・ラインナップを構築していきました。
これに合わせて、車種ごとに区分されたディーラー網が整備され、ターゲットとなる潜在顧客に確実にクルマを売っていく仕組みが出来上がったのです。
日本は年功序列の雇用形態ですから、基本的に年収と年齢が比例します。このため、カローラから始まり、社内の役職が上がるにしたがって上級車種に乗り換えさせるという「出世魚」の戦略が採用され、昭和の時代にはこれが劇的な効果を発揮しました。
トヨタは1980年代に「いつかはクラウン」という非常に有名なキャッチフレーズを打ち出しましたが、このフレーズはトヨタの昭和型マーケティング戦略をすべて言い表しているといってよいでしょう。
日本社会の基本的な構造が変わった
ところが近年、完璧だったこの販売戦略が徐々に機能しなくなってきました。最大の理由は、消費者の購買力の低下と国内自動車市場の縮小です。
国内の自動車販売市場はかなりのハイペースで縮小が続いています。労働者の実質賃金も伸び悩んでおり、もはや日本人にとって(特に若年層にとって)自動車は高級品となりつつあります。またライフスタイルが多様化していることから、全国一律の販売戦略を実施することについても効率が悪くなってきました。地域によって販売店が売りたい車はバラバラという状況になってきたのです。
こうした事態をうけてトヨタは、販売車種を絞り、販売店網を再構築する方針を固め、水面下で準備を進めてきました。2025年をめどに、現在60種ほどある車種を半分に絞り、すべての販売店で全車種を販売できるようにします。
これは戦後のトヨタとしてはもっとも大きな決断といってよいものです。トヨタがこれだけの決断を行ったということは、成長を前提にした日本経済の仕組みが根本的に変わったことを意味しています。