日本大学アメフト部による悪質タックル事件は、スポーツの範疇を超えてもはや社会問題へと発展しています。これは、一向に改善しない日本型組織における本質的な病理であり、日本という国が近年、競争力を失っている要因のひとつでもあると筆者は考えています。
すべての日本型組織に共通の現象
今回の問題の発端となったのは、日本大学アメリカンフットボールの選手が、関西学院大学の選手に後ろからタックルを行い、全治3週間のケガを負わせたことです。タックルを行った選手が記者会見を行い、監督から相手の選手をケガさせるよう指示を受けたと説明したことで、組織ぐるみの不正が明らかとなりました。
指示をしたとされる監督は、責任逃れの発言に終始し、大学はこの監督を守ろうとするばかりで、これが世間の怒りに火を注いでしまいました。
指示を出したとされる監督は、大学の常務理事も務めており、学生の就職にも大きな影響力を持っていたそうです。監督に嫌われてしまうと試合に出ることができず、選手生命が危うくなる一方、忠誠を尽くせば、選手として大成しなくても、一流企業への就職が約束されていました。
反則を行った選手は、村八分になるという恐怖と、自身が得られる利益との間で悩み、結局は反則タックルを行ってしまったわけです。このようなメカニズムは日大アメフト部に特有のものではありません。程度はともかくとして、多くの日本型組織に共通するものといってよいでしょう。
オリンパスや東芝の不正会計や三菱自動車のデータ改ざんなど、日本の上場企業はこれまで何度も不祥事を起こしてきましたが、どの企業にも似たような図式が見られました。問題が発覚した後も組織内に自浄作用が働かず、不正を指示した幹部を守ろうとするという点もまったく同じです。
全員が被害者であり加害者でもある
では、こうした組織体質というのは、組織のトップに君臨し、下の人間に忠誠や忖度を強要する人物だけによって形成されているのでしょうか。筆者はそうは思いません。
もちろん今回の事件で、タックルを指示した監督に極めて大きな責任があるのは間違いありません。しかし、不正を行う日本型組織では、全員が被害者であり、かつ加害者という状況になっていることがほとんどです。
監督の意図を忖度して選手に伝えたコーチも加害者ですが、監督におびえていた被害者でもあるでしょう。また実際に危害を加えた選手も、上からの指示があったとはいえば、自分の利益のため、相手にケガをさせるという、人としてあってはならない行為に手を染めました。
東芝の不正会計のケースでは、当時のトップが「チャレンジ」と称して、数値の改ざんを部下に促していたとされていますが、チャレンジを強要したのはトップだけではないはずです。
トップの意向を「忖度」し、それとなく不正を部下に強要した上級管理職が多数いるでしょうし、その意を受けた中間管理職は、さらに下の社員に対して暗に数値の改ざんを促していた可能性が高いでしょう。とりあえず言うことを聞いておけば自分は損をしないという意識が社内に蔓延しており、これがトップの暴走を許してしまいます。
つまり、日本型組織における不正関与の度合いは、上が濃く下が薄いというグラデーションになっているだけで、加害者としての立場を全員が負っているのです。
私たち自身が変わらなければ、この問題は必ず再発する
こうした組織形態は、誰かに強要されたものではなく、日本型ムラ社会の延長線上として自然に発生してきました。しかも、こうした組織は大きな問題さえ発生しなければそれなりに居心地がよく、多くの社員が望んだ結果でもあります。
このところ日本企業の競争力が低下の一途を辿っていることは多くの人が認識していると思いますが、これは単に技術力が低下したといったレベルの話ではありません。
価値観が多様化し、個人の責任が明確に問われるオープンな現代社会に対して、日本の組織そのものが適応能力を失っていることが大きく影響しています(つまり構造的な要因です)。そして、その背景にあるのは、従来型ムラ社会の維持を望む私たち自身の古い価値観なのです。
今回、問題になった監督を批判して、辞任に追い込んでも、組織を構成する人の意識が変わらなければ、次の暴君がやってきて、同じことが繰り返されるだけでしょう。
こうした負の連鎖を根本から断ち切るには、わたしたち自身が意識を変えるしかありません。
社内付き合いや近所付き合い、親戚付き合いなどにおいて、プチ暴君になっている人がいないでしょうか。面倒なことになるからといって、理不尽な要求を聞き入れ、誰かにそれを押しつけてしまえば、あなたも、割合こそ小さいですが、立派な加害者です。たとえ小さいことであっても、不条理なことに対してははっきりと「ノー」を示すことからすべては始まります。
こうした、個人の意思の集大成こそが、日本社会を変える大きな原動力になると筆者は考えています。逆に言えば、この決断ができなければ、日本という国の競争力低下はさらに進む可能性が高いでしょう。