コンビニ経済学 第11回
前回、解説したように、日本にチェーンストア理論が普及し始めた当初、イオン(旧ジャスコ)やダイエー(現イオン)、セブン(旧イトーヨーカ堂)といった企業は、教科書的な大量安値販売を目指していました。
こうした企業の取り組みは、閉鎖的な日本市場に風穴を開けるという意味で「流通革命」と呼ばれていましたが、日本の流通革命は本家本元の米国とは異なる道を歩むことになります。その理由は国内政治です。
大店法の規制で大型店が出店できなかった
当時、各社がお手本としていたのは米国のウォルマートでした。同社は、圧倒的な購買力をフルに活用し、メーカーに対して強気の価格交渉を実施。大幅な安値で消費者に商品を提供していました。
こうした店舗があったおかげで、米国の労働者層は豊かな生活を送ることができたのですが、こうしたビジネスには一部から批判も出ていました。安値で商品を売る大規模小売店が各地に進出することで、地域の個人商店の経営が苦しくなってしまうからです。
米国は紆余曲折がありながらも、自由に競争させることで、最終的には消費者が良い悪いを決めるという形で市場が形成されていきました。確かにウォルマートは一部の個人商店を閉鎖に追い込みましたが、豊かな消費社会を作り出す原動力になったことは間違いないでしょう。
ところが日本の場合には、まったく逆の動きが生じました。地域の商店会などが議員に対して激しいロビー活動を行い、政府は大規模小売店舗法(いわゆる大店法)を成立させ、大型店舗の出店を規制したのです。
店舗の規模が制限されてしまうと、チェーンストア特有の大量安値販売が出来なくなってしまいます。ここで各社は岐路に立たされます。
店舗面積に制限が加えられる中、無理に店舗数を拡大したダイエーは最終的に経営破綻し、セブン(当時はイトーヨーカ堂)は、安値販売を断念。逆に消費者に高い商品を売るコンビニという業態に舵を切りました。イオンはその中間といってよいでしょう。
コンビニが絶対に値引き販売をしなかったことには理由がある
日本独特の政治的な環境にいち早く対応できたセブンは、企業としては英断だったわけですが、一連の動きを日本全体の問題として捉えた場合、手放しで喜べるものとは言い切れません。
コンビニは店舗の規模が小さく企業の運営効率が悪くならざるを得ません。こうした業態で十分な利益を上げるには、商品を高く売る必要があります。つまり、コンビニが小売店の主役になってしまうと、消費者は安い買い物が出来なくなってしまうのです。
また、多数の店舗について常に出店退店を繰り返す必要がありますから、フランチャイズ制度を導入し、店舗運営のリスクをフランチャイジーに負担してもらう必要も出てきます。コンビニ独特の運営形態はこうして形作られてきたのです。
コンビニは、今となっては世の中になくてはならないインフラに成長しましたが、それは値段が高いことを消費者が甘んじて受け入れ、一部のフランチャイズ加盟店が過酷な労働を強いられることで、成り立ってきた業態と言い換えることもできます。
本来、地域の商店を守るはずだった大店法は結局のところあまり機能せず、かえってスーパーが出店した地域の商店が活性化するなど逆の影響も出ています。
今では、どこに行ってもコンビニがありますから、確かにコンビニは便利な存在といえますが、そのために、わたしたち消費者が負担してきたお金というのは、実は途方もない金額であるということも理解しておいた方がよいでしょう。