加谷珪一の知っトク経営学 組織編 第4回
【リーダーシップ論 前編】
組織の中で地位が上がってくると、プレイヤーとしてよりも、リーダーとしての能力が問われるようになります。リーダーとして身につけておくべき素養のことをリーダーシップと呼びますが、経営学の世界においても、リーダーシップ論は重要な位置を占めています。
本当の意味でリーダーシップを発揮するためには、リーダーシップがどこから発生するものなのかしっかりと理解しておくことが重要でしょう。
リーダーシップとは生まれ持った資質なのか?
リーダーシップとは、組織の中で影響力を行使して、チームをひとつの方向性に持っていく能力のことを指しています。以前はリーダーシップと呼ばれるものは、生まれつき持っている天性の資質と考えられていました。
確かに、カリスマ経営者やベンチャービジネスの創業者が持っている特殊な能力は、生まれつきのものかもしれません。しかし現代経営学の世界では、それなりの規模の組織の中で発揮するリーダーシップについては、天賦の才には依存しないとの見方が主流となっています。
つまり、リーダーにふさわしい行動様式というものがあり、それを体系的に学ぶことで、リーダーシップを発揮できるという考え方です。
どちらが正しいのかについて明確な答があるわけではありませんが、これは一般的なビジネスマン社会においても、知らず知らずのうちに議論していることが多いテーマといってよいでしょう。
2016年6月、東京都知事の舛添要一氏が、公費のハイヤーで別荘通いをしていることなどが批判され、都知事を辞任しました。
舛添氏は、都知事はトップリーダーなので、場所を変えて大局的に判断する時間が必要だとして、公費でのハイヤー利用は問題ないとの見解を示していました。こうした言動に否定的な人からは、「舛添氏は仕事のできる人だが、そもそもリーダーとしての資質に欠ける」といった意見も出ていたようです。
リーダーの資質は先天的か後天的か?
ここでは舛添氏の行動の是非については論じませんが、重要なのは「そもそもリーダーとしての資質に欠ける」との意見が多く見られたことです。つまり仕事ができる、できないとは関係なく、リーダーにふさわしい人とそうでない人がいて、両者の違いは最初から決まっているという考え方は、実は広く普及しているのです。
会社の中でも「彼は営業マンとしては優秀だが、管理職には向いていない」「彼は内向きな性格だからリーダーにはなれないよ」といった会話が飛び交っていると思います。こうした話題の多くは、リーダーの資質がもとから備わっているということが暗黙の前提となっています。
一方、当初はリーダーとして頼りなく見えた人が、実際にそのポストに就いて、仕事を重ねるうちに、リーダーとしての振る舞いができるようになってくる事例もたくさんあります。
経営学の世界では、リーダーシップは才能というよりも、行動様式という理解が主流です。ある程度の能力さえあれば、リーダーにふさわしい行動特性を学ぶことによって、誰でもリーダーになれる可能性があるという考え方です。
舛添氏は才能豊かな人物ではありますが、学者からテレビタレントに転じた人物であり、組織人としての振る舞い方は、あまり上手ではなかったのかもしれません。舛添氏も、リーダーシップを学ぶチャンスがあれば、その資質を問われなかったかもしれないわけです。
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