ガンに伴う身体的、精神的苦痛を低減する「緩和ケア」に関する誤解が多いということで、厚労省が対策に乗り出しています。
この問題の背景には、病気やその結果としての死をタブー死する価値観の存在があり、これが状況をややこしくしている面があります。
緩和ケアの誤解は死のタブー視が原因
緩和ケアは、読んで字のごとく、ガンによる痛みや精神的苦痛を和らげるための治療になります。つまりガンと診断された時から、進行度合いとは関係なく緩和ケアの対象となるわけです。
しかし医療の現場では「治療できる見込みがなくなった人のためのケア」あるいは「終末期のケア」というイメージが強くなっていますし、実際、そういったニュアンスで使われていることも多いようです。
厚労省では、診断時から全ての患者に対して適切な緩和ケアを実施するよう求めるリーフレットを作成しました。緩和ケアに対する誤解が生じないよう「医師をはじめとする、全ての医療従事者」が読むよう呼び掛けています。
現実問題として、治療できる見込みがある段階では、医師の側も患者の側も治療することを最優先しますから、多少の苦痛はあまり考慮されません。治療の見込みがなくなってきた段階で、緩和ケアが意識されてくるというのは、ある意味で自然なことといってよいでしょう。
問題なのは、病気で亡くなってしまうことそのものがタブー視されているため、そこに緩和ケアという言葉が結びついて、様々な誤解を生んでしまうことです。つまり、緩和ケアという言葉の使い方が問題なのではなく、病気による死を過度にタブー視し、これを排除しようというところに、根本的な原因があるわけです。
誰にとっても死は嫌なものです。しかし、日本人の3人に1人がガンで亡くなっているという現実を考えると、ガンによる死の問題を避けて通ることはできないはずです。
オープンな議論が最後は患者を救う
昔は死因のトップは感染症などでした。今ほど医療が発達していませんでしたから、ちょっとしたことで感染症を引き起こし、それが原因で亡くなっていました。
一方ガンは、長く生きればそれだけ発生の確率が上がってきます。ガンが死因のトップになったということは、ある意味で、日本人の長寿が究極的に進んでいることのウラ返しともいえます。
つまり、ガンの種類によっては、治療することができず、寿命として、それを受け入れる勇気が必要だということです。
もっとも、患者本人や家族がそう簡単に割り切れるものではないことは、筆者自身もよくわかっています。筆者は母親を壮絶な闘病の末にガンで亡くしているからです。医師から緩和ケアという言葉を聞いた母親は、当初それに激しく抵抗しました。
もちろん医師は「手の施しようがありません」と言ったわけではないのですが、本人は緩和ケアを受け入れてしまうと、自分の死を認めてしまうと思ったのでしょう。
それでも筆者は、ガンの種類によっては、治療ができないこともあるという事実について、患者本人や家族、そして社会が受け入れていく必要があると考えます。
ガンには治療できものもあればそうではないものもあるという、当たり前の事実を社会が理解し、オープンにそれを語ることができるようになって初めて、本当の意味での緩和ケアも実現できるからです。
アップル創立者でガンとの闘病の末亡くなった、故スティーブ・ジョブズ氏は、毎朝「今日が人生最後の日だったらどうするか」と考えて生きてきたそうです。常に死を考えることは、豊かな人生につながるはずです。