このところ日本の航空業界でネガティブな出来事が続いています。日本の格安航空会社(LCC)の草分けといわれたスカイマークが2015年1月、民事再生を申請し破たんしました。
その5日後、25年にわたって東京とロンドンを結んできた英ヴァージン・アトランティック航空が日本を撤退、さらに翌日には、カタール航空が日本路線から撤退すると報道されています。日本の空に何が起こっているのでしょうか?
あまりにも状況が違う日本の空と諸外国の空
スカイマークの破たんと、ヴァージンやカタールの日本撤退は直接的には何の関係もありません。しかし広い意味では、国際的な市場から孤立する日本という共通の要因があります。
日本にいるとあまり実感しないのですが、世界の空は急激な勢いで変貌しています。新興国の需要が拡大し、こうした新しいマーケットに対応した安価な航空サービスの普及で、市場規模が急激に拡大しているのです。
ここ20年の間に、飛行機の旅客数は、北米が約2倍、欧州が約3倍、アジアは約4倍に増加しています。一方、日本の旅客数は、同じ期間でほぼ横ばいという状況であり、相対的に見れば、日本の航空輸送の規模は3分の1の水準に低下してしまった計算になります。
基本的にその国や地域の経済成長と人の移動は比例します。通信手段がいくら発達しても、直接的なコミュニケーションがなくなることはないからです。日本とそれ以外の地域の航空輸送の差は、そのまま経済成長の差と考えて差し支えありません。
航空輸送が増えれば、安価なサービスの提供が可能となり、これまで飛行機に乗らなかった顧客層の開拓が可能となり、さらに市場が拡大していきます。LCCという航空輸送の世界におけるイノベーションによって、市場拡大に弾みがついたわけです。
こうした新しいサービスは通常、成熟した先進国で登場し、新興国に普及していきます。LCCという形式を定着させたのは、米国のサウスウェスト航空という会社ですが、まずは先進国である米国でこうしたサービスが登場し、競争に揉まれながら、その事業形態を確立していき、各地域に普及していくわけです。
そう考えると、アジア地域でLCCの主導権を握るのは本来、日本であるべきでした。そして途中までは実際にそうなり、米国のサウスウェストをモデルに、アジア初のLCCベンチャーであるスカイマークが誕生したわけです。
根本的な要因は航空行政にあるのではない
しかし、残念なことに、日本ではスカイマークは格安航空会社として事業を拡大することができませんでした。それは、日本における飛行機の運航コストがあまりにも高く、価格破壊的な運賃を提示することができなかったからです。
日本では空港は官のもっとも大きな利権の一つとなっており、多くの公務員が天下っています。また空港に関連した業務の受注は地域経済にとって、公共工事のような役割を果たしています。
このため日本の空港関連施設の維持コストは極めて高く、結果として高い着陸料などを通じ、運賃に跳ね返ってくる仕組みになっています。
日本の航空会社各社は、米国の大手航空会社と比べても、2倍近く運航コストがかっています。スカイマークがどんなにコスト削減を徹底しても、日本という市場がそもそも高コスト体質である以上、値下げには限界があるわけです。
日本がモタモタしている間に、世界では次々と新しい格安航空会社が登場し、それらはJALやANAを超える巨大航空会社に成長しています。
アジア地域では、エアアジアなどをはじめとする格安航空会社が市場を席巻しており、一時はスカイマークを買収するという噂もありました。しかし、本来であれば、スカイマークをはじめとする日本のLCCが、こうした立場になっていたはずということを考えると、非常にもどかしさを感じます。
ヴァージン航空やカタール航空の撤退は、いろいろな理由がありますが、グローバルに見て、日本市場が小さくなり、魅力が薄れたことが最大の原因といってよいでしょう。一部では、羽田発着枠を申請する際には、成田便を残すことを事実上義務付ける、いわゆる「成田縛り」が撤退の原因とも報道されています。
こうした行政のガラパゴス化は今に始まったことではなく、昔から指摘されていました。しかし日本経済が順調に成長していた頃は、こうした奇妙な規制があっても、日本に進出する航空会社はいくらでも存在したわけです。
現在では、日本経済全体が殻に閉じこもる状態となっており、その結果、ガラパゴスな航空行政がさらに顕著になるという悪循環に陥っています。
もちろん閉鎖的な日本の航空行政は問題なのですが、雇用や仕事の確保といった部分を通じて、間接的にそれを求めているのは、結局のところ、私たち国民自身なわけです。
経済活動を自由に行えば、最終的には全体のパイは増えますが、必ずどこかで割を食う人が出てきます。だからといって、全体の発展を阻害するやり方を続けていてよいのか、わたしたちは真剣に考える必要があるでしょう。