先日、米国の調査機関であるピューリサーチセンターから興味深い調査結果が報告されました。日本人は先進国の中で、市場メカニズムを信頼していない人の割合がもっとも高いというものです。
日本は世界でもっとも成功した社会主義の国などと言われた時代もありましたから、この結果はある意味で納得できるものといえるかもしれません。
しかし、現実の日本において、社会主義的な再配分が行われているのかというとそうではありません。日本の貧困率は先進国でも突出して高く、弱肉強食の国というイメージが強い、米国と肩を並べる水準なのです。
日本人は市場メカニズムを信用していないようなのですが、国家による富の強制配分に対しても否定的というわけです。これはどういうことなのでしょうか?
日本と近い結果なのはスペインとギリシャくらい
同センターの調査では、主要先進国のうち、市場メカニズムを支持している人の割合がもっとも高かったのはドイツで73%の人が支持していました。2位は米国で70%、3位は英国で65%でした。
ここでいうところの市場メカニズムとは、「一部に富の集中や貧困が発生したとしても、おおむね全員の生活水準を向上させる」という意味になります。
上位3カ国は、産業の仕組みや政策もバラバラですが、徹底した競争原理主義を採用しているという点では共通しています。これらの国々が上位に入るのはごく自然な結果といってよいでしょう。
一方、日本人で市場メカニズムを支持する人はわずか47%となっており、否定する人の方が上回っています。これは主要先進国の中では最低であり、しかも支持が50%を下回ったのは日本だけでした。
同調査では、主要先進国以外の国も調査対象に加えた結果を出しているのですが、日本と近い結果となっているのは、経済的に破たんしているギリシャとスペインしかありません。
この結果を見る限り、日本人は基本的に市場メカニズムを信用していないようです。では、日本が市場メカニズムによらず、国家による富の再分配を積極的に行っているのかというそうではありません。
OECDがまとめた相対的貧困率に関する比較調査によれば、日本の相対的貧困率は15%と、OECD加盟国ではもっとも高い水準となっています。市場メカニズムに肯定的な英国の貧困率は8.3%、ドイツは11%しかありません。
日本は弱肉強食の象徴といわれる米国とほぼ同水準の貧困率なのです。欧州の中でも、社会主義的な色合いの濃いフランスでは、さらに貧困率は低くなり、わずか7%にとどまっています。
OECDの貧困率調査は実態を100%反映していない、あるいは絶対的な貧困が問題であって、相対的な貧困は重要ではないなど、貧困率に関するデータには批判的な意見もあります。
しかし、OECDのランキングは、社会における貧困をもっとも包括的に評価できる数少ない指標ですし、生活実感としての貧しさは、相対的貧困によってもたらされますから、これを重視するのは当然のことです。
極端な例ですが、アフリカの途上国の人が1日1ドル以下で暮らしているのだから、年収100万円でも贅沢だという議論を、現実に年収100万円で暮らしている人に投げかけても何の意味もないでしょう。
また、多くの国がそうですが、生活保護を基準として絶対的貧困率を算出すると、相対的貧困率とあまり違いは出てきません。
市場メカニズムを信じないのに、なぜ国家による所得の再配分が行われないのか
では日本はどうして、市場メカニズムを信用していないのに、国家による富の再配分を行われないのでしょうか。原因のひとつとしては、日本の高齢化が考えられます。
日本の高齢者の年金は手厚いといっても、それだけで十分に生活を維持できるわけではありません。中にはこれまで保険料をあまり納めておらず、実質的に無年金という人もいます。
高齢者の収入は若い世代よりも低くなるのが当たり前ですから、そうなってくると、富の再配分を行っても、高齢者の割合が高い場合には、貧困率が上昇する可能性があります。
ただそれにしても、欧州の2倍も貧困率が高いというのは尋常ではありません。やはりそこには、日本の富の分配機能が不完全であるという事実を認めざるを得ないでしょう。
日本はよい意味でも悪い意味でも、前近代的なムラ社会がまだ色濃く残っています。国家が集めたお金は、補助金などの形で各地に再配分されますが、ここに恣意的な分配ルールがあったり、特定の人にこうした資金が集中することで、十分に再配分が行われていない可能性があるのです。
また、正社員に給料が偏り過ぎており、そのシワ寄せが非正規社員など低収入の人に及んでいる可能性もあります。
筆者は市場メカニズムをうまく活用してこうした問題を解決した方がよいと思っていますが、仮に市場メカニズムに頼らないという選択をするのであれば、国家による再配分機能の強化をもっと真剣に考えるべきでしょう。
そのためには、属人的なムラ社会から脱し、日本は本当の意味で近代国家になる必要があります。