日本経済はすでに輸出主導型から内需主導型にシフトしていますが、肝心の個人消費が伸ないという状況が続いています。
個人消費が伸びないのは、社会保障など将来に対する不安が大きいことや、イノベーションを阻害する社会制度が温存されていることなどが主な理由と考えられますが、「他人を信用できない」という日本人のメンタリティも消費が伸びない要因の一つとなっている可能性があります。
日本人は極めて猜疑心が強い
総務省が公表した2018年版情報通信白書には、興味深い調査結果が掲載されています。同白書によると「SNSで知り合う人のほとんどは信用できる」と回答した日本人はわずか12.9%でしたが、米国は64.4%、英国は68.3%に達しています。
逆に日本人の87.1%は「あまり信用できない」「信用できない」と答えており、ネット空間で知り合う相手に対して信用していないという現実が浮き彫りになりました。
ところが、この話はネット空間にとどまるものではありません。
ネットかリアルかは区別せず「ほとんどの人は信用できる」と回答した日本人はわずか33.7%しかおらず、その割合は各国の半分しかありません。つまり日本人は基本的に他人を信用しておらず、ネット空間ではその傾向がさらに顕著になっているに過ぎないことが明らかとなったのです。
日本人は猜疑心が強く、他人を信用しないという話は、海外でビジネスをした経験のある人なら、実感として理解できるのではないでしょうか。
米国は契約社会といわれますが、それは一部のカルチャーを極端に取り上げたものにすぎません。米国では意外と信用ベースで話が進むことが多く、日本と比べると、後で金銭的に揉めることも少ないのが現実です。
中国に至っては、一旦、信頼関係ができると、ここまで信用してよいのだろうかというくらいまで、相手から信用してもらえることすらあります。
相手を信用できないことのコストは膨大
もしかすると日本人や日本社会がグローバル化できないのは、英語などの問題ではなく、他人を信用できないという性格が大きく影響している可能性があります。
実は経済活動において、相手を信用できないことによって生じるコストは膨大な額となります。
信用できない相手と取引するリスクを軽減するためには、多額の調査費用をかけて相手を調べたり、詳細な契約書を作成するといった作業が必要となり、時間とコストを浪費します。こうした事態を回避するには、よく知っている相手だけに取引を絞り、狭い範囲で顔を合わせて経済活動するしか方法がなくなってしまいます。
日本の産業は、重層的な下請け構造になっているケースが多いのですが、これはウラを返せば、身内としか取引したくないからです。
つまり多くの日本企業は、知っている相手とだけ取引することでリスクを回避しているわけですが、ムラ社会的なコミュニティでは、十分な市場原理が働かず、結局は多大なコストを支払う結果となります(日本においてテレワークが浸透しないのも、他人を信用できないからです)。
見知らぬ他人を評価し、信用するという能力は、実は資本主義の原動力そのものです。
日本経済を本当の意味で活性化させるためには、こうした根本的な価値観の転換が必要なのかもしれません。