仮想通貨が大ブームとなり、投機的な取引に対する批判も高まっていますが、仮想通貨の登場は、これまで曖昧に処理してきた「価値」というものの本質について、わたしたちに多くを問いかける結果となりました。
わたしたちは「お金」について、無条件に価値のあるものとして受け入れています。経済学の分野ですら、貨幣価値の本質についての議論は敬遠される傾向にありますから、一般的な消費者にとってはなおさらのことでしょう。
しかし、ビットコインをはじめとする仮想通貨の登場は、この常識を根本から揺さぶってしまいました。
仮想通貨に対する、一部識者による最初の反応は、「政府の信用を背景にしていないものは貨幣ではない」との見解でした。
しかし経済史というものを考えた時、政府の信用がなくても貨幣が通用するのは常識ですし、そもそも、今、わたしたちが国家と呼んでいるものは、近代以降に成立した新しい概念です。当然ですが、貨幣は近代国家が成立するはるか以前から存在していました。
確かに、仮想通貨は政府が管理する「法定通貨」ではありませんが、法定通貨であるかどうかは、貨幣の定義とは無関係です。
少し考えれば分かる話ですが、反射神経的にこのようなヒステリックな批判が出てきてしまったということは、仮想通貨のインパクトがいかに大きかったのかを物語っています。
同じような誤解としては「決済に使われていないので通貨とは呼べない」というものがあります。確かに現時点においてビットコインなどを日常的な決済に使っている人はほとんどいません。しかし、落ち着いて考えれば、これも当たり前のことです。
仮想通貨が今後も値上がりすると考える人はまだ大勢います(それが正しいのかどうかは別にして)。これから値上がりが期待されているのに、今、消費で使ってしまうバカはいません。少なくとも値上がり期待が発生しているうちは、決済に使われないのは当たり前のことです。
一般的に貨幣には「価値の尺度」「価値の貯蔵」「流通手段」の3つがあるといわれています。
しかし、この3つは独立したものではなく、相互に関係性を持っています。価値の尺度があるからこそ決済で使われるわけですし、そうあればこそ、資産の保全手段にもなり得ます。
つまり、この3つがバランス良く保たれ、多くの人に信認されたものが貨幣として流通するわけです。つまり、法定通貨を含め、すべての貨幣はこうしたコンセンサスに支えられているのです。
現時点でビットコインをはじめとする仮想通貨が、この要件をすべて満たし、通貨として生き残れるのかはまだ分かりません。歴史を遡れば無数の通貨が登場しては、信用を得られず消滅していきました。
仮想通貨は新しい技術を使っていますが、それで通貨の本質が変わるわけではありません。これまでの通貨と同様、信認が得られれば生き残りますし、信認を得られなければただ消滅していく、それだけのことです。
通貨の将来を決めるのは、政府でも日銀でも専門家でもなく、わたしたち消費者(市場参加者)です。マーケットが最終的に判断するというのは、資本主義におけるオーソドックスな考え方といってよいでしょう。