経済評論家 加谷珪一が分かりやすく経済について解説します

  1. 政治

議員が参考人に暴言を吐くということの本質的な意味

 衆議院議員の穴見陽一氏が、国会に参考人として招かれたがん患者が意見を述べている最中に「いい加減にしろ!」と暴言を吐くという出来事がありました。
 
 この発言は到底、容認できるものではありませんし、人としての良識を疑うものであることは言うまでもありません。しかし、今回の発言は別の意味で、より深刻な問題をはらんでいると筆者は考えます。それは議会制民主主義の根幹に関わる問題であり、もしかすると近い将来、今回の発言が、日本の歴史における大きな転換点とみなされている可能性すらあるからです。

招待した参考人に暴言を吐くというのは、国会の自己否定そのもの

 穴見氏が暴言を吐いたのは2018年6月15日に行われた厚生労働委員会です。当日は、日本肺がん患者連絡会理事長の長谷川一男氏が、参考人として国会に招かれ、意見を述べていました。

 長谷川氏が、「喫煙者の人が吸う場所がないと感じることは理解できる」としながらも、病気を抱えている身としては「屋外でもなるべく吸って欲しくない」という主旨の発言を行ったところ、穴見氏が「いい加減にしろ」と複数回、暴言を吐いたということです。

 これまで国会内のヤジについては、その是非についていろいろと議論されてきました。筆者はヤジを肯定する立場ではありませんが、議員というのは国民から選ばれた代表者であり、自身の価値観に従って行動することが許されています。政局もひとつの政治のあり方ですから、議員どうしでヤジを飛ばすことについては、いろいろな考え方があってもよいでしょう。

 しかし今回のケースは、参考人として招かれた民間人に対する発言であり、ヤジという言葉で済まされるものではありません。病気の中、わざわざ国会に足を運んでくれた参考人に対して、恫喝まがいの暴言を吐くという行為は、いかなる理由があっても許されるものではないと考えます。

 穴見氏は謝罪を表明しているようですが、穴見氏が謝罪したかどうかなどはもはや重要な話ではありません。筆者は国会が穴見氏に対してどのような対応をするのか注目しています。なぜなら、国会が穴見氏に対して何もアクションを起こさなかった場合、国会は自らの存在を否定することになるからです。

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議会が機能しない国の末路とは

 国会は「国権の最高機関」であり、日本の統治機構の頂点に立つ組織です(頂点に立つのは行政府ではありません。行政府は国会が決めたルールにしたがって実務を行うだけの存在です)。
 なぜなら国会は選挙で選ばれた人物で構成されるものであり、主権者である国民の意思を反映していると解釈されるからです。そうであればこそ、内閣は国会に対して責任を負っています(議院内閣制)。

 国家の最高意思決定機関が、今後の国のあり方を議論する際、様々な立場から意見を述べてもらうために招待するのが参考人です。こうした意見を参考にしながら、主権者の意思を反映した法律(ルール)を定めるのが彼等の責務です。主権者である国民から選ばれているからこそ、国会議員には特別な身分が付与され、多くの人は敬意を示しているわけです。

 それにもかかわらず、わざわざ意見を伸べに国会に足を運んだ参考人に暴言を吐いたり、恫喝したりするという行為は、国会や国会議員の存在意義を自己否定していることにほかなりません。
 
 国会に呼ばれたら、権力者に恫喝されるかもしれないと国民が感じてしまったら、まともな人間は誰も参考人には応じなくなってしまうでしょう。それだけはありません。多くの国民が国会など無意味な存在であると認識してしまえば、それは民主国家にとって非常に危機的な状況となります。

 先進的な民主国家で独裁政権が成立しにくく、貧しい途上国では容易に非民主的な独裁者が誕生するのは、議会が機能していると国民が認識しているかどうかの違いが大きく影響しています。

 独裁的な政権を目指す、非民主的な政治家が登場してきた場合、国民が議会など無意味であるとしらけ切った状況では、歯止めとなるものはもはや何も存在しません。民主国家と非民主国家の違いはあまりにも大きいですが、そうなるかならないかの違いは実は紙一重なのです。

 これは与党、野党というレベルの話ではなく、近代民主国家の存在意義そのものが問われる話です。議会が機能しない国の末路は、日本のすぐ近くにある非民主国家がどのような状況なのかを考えれば容易に想像が付くはずです。

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