富裕層の顔ぶれは時代によって変化する(1970年代から80年代)

お金持ちを科学する 第5回

 前回は戦後、間もなくは炭鉱オーナーが長者番付の常連であり、その後、松下幸之助氏や本田宗一郎氏といった製造業のオーナーが台頭してきたという話をしました。
 時代が進み、1970年代に入ると、さらに違った業種の人たちが長者番付に登場してくるようになります。大規模小売店や不動産ビジネスといったサービス業です。

スーパーのカリスマと呼ばれた中内功氏

 大規模小売店のオーナーといえば、やはりダイエーを創業した中内功氏でしょう。中内氏はスーパー業界のカリスマと呼ばれていました。

 当時の日本は急速に豊かになっており、消費者の購買意欲は年々上昇していました。一方で、消費財などの市場はメーカー主導の色彩が強く、消費者が望むものではなく、メーカーが売りたいものを売るという旧態依然とした状況でした。

 中内氏は、米国のウォルマートに代表されるような、大規模店舗で安価な商品を売るというビジネスモデルに目を付け、日本への導入を試みます。当時、こうした新しい小売店の形態は、メーカーから消費者に主導権を奪い返すという意味で流通革命と呼ばれていました。

 ダイエーはその後、無理な拡大路線が災いして経営破綻しますが、ダイエー以外にも、小売店のオーナーが次々と億万長者になっていきました。現在、スーパー業界最大手のイオン(前岡田屋)やセブン&アイ・ホールディングス(前イトーヨーカ堂)も当時、ダイエーなどと一緒に流通革命に邁進した企業ですし、家具のニトリも同様です。

 それぞれの企業に創業家があり、イオンの岡田家やセブンの伊藤家、ニトリの似鳥家などは、現在でも超富裕層です。

nakauchi

80年代の長者番付上位のほとんどが不動産関係者

 1980年代は、何と言ってもバブルの時代ですから、当時の長者番付の常連は不動産業です。1986年は長者番付上位100人のうち70人以上が土地長者で占められ、翌87年には上位10人がすべて世間的には無名の不動業者という状況となりました。

 歌手の千昌夫氏が活動を休業し、ハワイのホテルを買い漁っていたのはちょうどこの頃です。千氏の資金源となっていたのは、経営破たんした旧長銀(長期信用金庫)なのですが、当時の銀行は節度を超えた融資を平気で行っていました。

 不動産だけでなく、日経平均も最高値を更新し、4万円に迫る勢いでしたから株長者も続出しています。

 最後の相場師ともいわれた是川銀蔵氏も、連続して長者番付の上位に顔を見せていましたが、バブルの最期にはかなりの損失を抱えたいわれています。最終的には、所得税が納税できず、国税庁に資産を差し押さえられ、ゲームオーバーとなりました。このタイプの億万長者は転落も早いという特徴があります。

 1990年代以降はデフレの時代となり、世の中の仕組みがすっかり変わってしまいました。これにともなって長者番付の顔ぶれも激変することになります。このあたりについては次回に解説しましょう。

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