加谷珪一の分かりやすい話

経済評論家 加谷珪一が分かりやすく「お金」、「経済」、「ビジネス」などについて解説します

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介護離職ゼロ目標で顕在化する、日本の社会保障制度と経済政策の矛盾

 

 安倍政権が「1億総活躍社会」の実現に向けて「介護離職ゼロ」という野心的な目標を掲げました。介護を理由に仕事を離れる人をゼロにしようというもので、供給制限がかかっている今の日本経済にとっては非常に重要な政策です。
 しかし、この政策は、従来の日本における社会保障政策と根本的に矛盾する内容となっています。どこまで官邸がそれを認識しているのかは定かではありませんが、この部分をはっきりさせなければ、掛け声だけの政策に終わってしまいかねません。

日本の社会保障制度の基本は「家族が面倒を見る」仕組み
 現在、日本では年間10万人が家族の介護を理由に離職しているといわれています。現在、都市部を中心に50万人以上の「待機老人」が特別養護老人ホームへの入所を待っており、その背後には潜在的な待機者が数百万人いるともいわれています。このままでは介護を理由に離職する人がさらに増えてくることになります。

 世の中には様々な介護施設がありますが、平均的な所得水準の人にとって、寝たきりの状態となり、最終的な寿命をまっとうする段階までケアしてもらえる施設は、事実上、特別養護老人ホームしかありません。
 自力で生活することができない老人にとって、自宅以外で終の棲家となる唯一の施設なわけですが、このままでは多くの人が特養に入ることができず、寿命を迎えてしまいます。

 特養の数が入所希望者に比べて圧倒的に少ないわけですが、そうなってしまう理由は、日本の介護政策の基本的な考え方にあります。日本の社会保障制度は欧米各国と異なり、自立した個人が、現役時代の積み立てによって自身の老後を成り立たせるという考え方を採用していません。

 年金制度もそうなのですが、老後の生活はあくまで家族が面倒をみるという考え方であり、公的年金や介護保険は、それを側面支援する制度に過ぎません。
 つまり、基本的に施設に入って人生を全うするというライフスタイルは最初から想定されていないのです。やむを得ない事情がある人のみ、特養に入るということになりますから、その数は非常に制限されているわけです。

 前近代的なムラ社会が継続していればこうしたやり方も維持できたのかもしれませんが、現代社会は価値観やライフスタイルが多様化しており、家族という単位で解決することはほぼ不可能な状況となっています。

 しかも日本は高齢化の進展で人手不足が深刻になっており、マクロ経済的には供給制限がかかった状態にあります。この状況で、家族の老後をケアするということになると、ますます労働力は不足してしまうでしょう。

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どちらにするのか、決めなければならない
 こうした状況を考えれば、介護離職をゼロにするという政策は非常に望ましいものです。しかし、介護離職をゼロにするということは、従来の社会保障政策から180度方向転換するということを意味しています。介護離職をゼロにするためには、希望すれば全員が特養に入れる環境を作る必要が出てくるからです。

 現在、介護保険制度からは年間約9兆円が支出されており、このうち、国と地方自治体が半額を負担しています。もし家族が一切の負担をすることなく、すべて施設でケアするということになると、介護費用は2倍に膨れあがると指摘する識者もいます。介護保険を保険料を倍増させ、かつ国と自治体が追加で4.5兆円を負担しなければ、施設での介護を実現することはできません。
 消費税でこれをカバーしようとすれば、さらに2%から3%の増税が必要となりますし、何より国民に課せられる介護保険料が大幅増額となるため、家計の負担は相当なものとなります。

 安倍首相が単に響きのよいキャッチフレーズとしてこの言葉を用いたのか、社会保障政策を大転換させるつもりでこの目標を打ち出しのか、何ともいえませんが、現実に政策を転換するということになると、大変な困難を伴うことは間違いありません。

 厚生労働省は、社会保障費が財政を圧迫していることから、特養の入所基準の引き上げを実施したばかりです。足元の政策は、むしろ介護離職を増やす方向にあるわけです。同省は、とりあえず介護離職ゼロに対応するため、特養の新規建設の前倒しを実施し、都市部に限っては、設置基準を緩和する方針です。

 これまで特養は、社会福祉法人が自ら建物を建てて所有する必要がありましたが、東京など都市部に限ってはこの制限が撤廃されます。地主が建物を建てて、丸ごと社会福祉法人に貸し出すことが可能となるので、特養の整備は多少進展するでしょう。

 しかし今回の措置は、ごく一部の地域に限定されたものであり、社会福祉法人が自ら建物を所有するという原則は変更せず、他地域での緩和も行いません。一部地域での緩和にとどまれば、特養を大幅に増やすことは難しくなるでしょう。

 これまで日本人は、社会保障制度について、真剣に向き合ってきませんでした。個人の自立を前提にした欧米型の社会保障制度を目指すのか、家族主義的、共同体的な制度を維持するのか、そろそろ本気で議論する必要があるでしょう。

 しかし、こうした制度において「いいとこ取り」は不可能です。個人型の制度にすれば、相当な財源が必要となり、国民負担は一気に増加します。一方、共同体型を選択した場合、日本の労働力不足は決定的となり、経済成長やイノベーションに極めて大きな影響を与えるでしょう。残された時間はあまり多くはありません。

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