米国人は休暇中でも仕事、日本は残業時間削減が国策

 先日、米国の経済紙に、休暇中でもパソコンを持ち込んでを仕事をするワーカホリックが増加中という記事が掲載されていました。一方、日本では残業時間を減らすことが成長戦略の一環として強く推奨されています。このような状況については、わたしたちはどう考えればよいのでしょうか。

米国人はワーカホリック?
 記事が指摘しているように、米国人は仕事が大好きで、一部の人はかなりのワーカホリックになっています。OECDによる各国の労働時間比較では、米国の年間労働時間は1778時間となっており、他の先進各国よりも長いという結果が出ています(ちなみに英国は1647時間、ドイツは1419時間、フランスは1562時間です)。

 実際に米国人と仕事をすると驚かされるのが、朝のアポイントの早さです。彼等は平気で6時、7時という時間帯にミーティングなどを入れてきますから、朝9時に出社という感覚が普通の私たち日本人からすると、最初は少々面食らってしまいます。

 また、昼食をほとんど、あるいは少ししか食べないという人も結構います。理由を聞くと「時間がもったいない」「昼ご飯を食べると眠くなるので生産性が低下する」といった答が返ってきます。中にはこの勢いを休暇先まで持って行ってしまう人がいるのでしょう。

 ただ彼等はいくら仕事が好きだといっても、毎日、延々と深夜まで残業しているわけではありません。やるべき仕事を完了すればさっさと帰宅してしまいます。
 つまり、彼等は朝早くから猛然と仕事をして、なるだけ早く終わらせて、プライベートな時間を過ごし、また早朝からアクセル全開というパターンなわけです(もちろん全員がそうではありませんが)。

 先ほど、米国の労働時間は長いと書きましたが、OECDの比較では日本は1733時間となっており、やはり米国の方が長時間労働となっています。
 しかし、米国が本当に日本より労働時間が長いのかというと必ずしもそうではないでしょう。日本には悪名高いサービス残業という慣行があり、統計上の数字に労働時間が反映されていない可能性があるからです。

 労働者側のヒアリングに基づいて作成された統計では、日本の労働時間は1.2倍に増加し、米国を抜いて先進国ではトップとなります(もともとOECDの統計は算出根拠が国よってバラバラです。厳密な意味での横方向の比較はできないものですので、安易な結論付けはしない方がよいかもしれません。ただ、サービス残業を含めると、日本の労働時間が長いことはほぼ間違いないと考えてよいでしょう)。

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労働時間をただ減らせばよいというものではない
 つまり日本と米国とでは会社での時間の過ごし方に根本的な違いがあるわけです。欧州企業も多かれ少なかれ、米国と似たような状況にあると考えられますから、皆で残業するという日本の職場環境は特殊といってよいでしょう。

 よく知られているように、日本の労働生産性は先進各国では最低水準です。労働生産性は生産高を増やすか、労働時間を減らせば上昇します。日本企業の生産性が低いということは、あまり儲からないものを売っているか、販売量が少ないか、労働時間が長いのかのいずれかということになります。

 最近の成長戦略で提示されているのは、労働時間を減らす、つまり生産性の分母を小さくするという方策と考えてよいでしょう。

 しかしながら、付加価値の低い産業しかない途上国ならいざ知らず、先進国において、労働時間の短縮だけで生産性を向上するというのは現実的ではありません。
 生産性を高めるための最良の方法は、付加価値の高い製品やサービスを提供することであり、生産性の向上は、本来、この部分を通じて実現すべきものです。

 確かに米国人は朝早くからメリハリのある仕事の仕方をしていますが、彼等の生産性の高さはその働き方でもたらされているわけではありません。
 その前に、付加価値の高い製品やサービスを開発するという、もっと重要な部分があるのです。そうでなければ、米国が日本の1.5倍もの生産性を実現することはできません。逆に言えば、彼等は付加価値の高いビジネスが出来ているので、それほど残業しないで済んでいるわけです。

 このところ日本では、残業時間を抑制するために、朝の時間帯に出社することが推奨されています。
  深夜までダラダラと残業するというのは、仕事が効率良くできないことを証明しているようなものですから、こうした慣行はやめるべきだと思います。しかし、既存のビジネス・モデルを変えずに、朝出社にすれば、生産性が向上するなどと考えているようでは、この政策はうまくいかないでしょう。

 生産性を上げて豊かにするためには、変化を恐れず、時代に対応して人や組織を入れ替えていくという勇気が必要です。これは長時間残業をすることよりも、早朝に出社することよりも、精神的には大きな負担となります。しかし、この部分を避けて通っていては、本質的な状況の改善は望めないでしょう。