経済評論家 加谷珪一が分かりやすく経済について解説します

  1. テクノロジー

ネットの普及で「知」のあり方はどう変わったか

 ネットが情報のインフラとして確立してきたことで、「知」のあり方も大きく変わってきています。新しい枠組みを理解した上で情報収集をする人とそうでない人の格差は今後、さらに拡大していくでしょう。

かつては情報そのものに価値があった
 ネットが普及する前までは、重要な情報は、基本的に紙に書かれており、情報にアクセスすることそのものに結構な労力を必要としました。したがって網羅的に情報を収集することは難しく、とりあえず、ある分野を深堀りするという形で「知」を高めていくのが定番でした。

 また一次情報は一般の人には手に入りにくく、これを入手できた人は、整理して書籍などを執筆し、多くの人はそこから情報を得るという形式が一般的でした。このため書籍は非常に重要な情報源だったわけです。

 世の中のことをたくさん知ろうと思ったら、まずは書籍をたくさん読むことが必要であり、そのためには一定の支出が必要となります。書籍はそれほど高いものではないので、ここまでは何とかなりますが、そのうち、書籍を保管できないという悩みに直面することになります。

 筆者も若い頃はお金がありませんでしたから、狭い家に住んでいました。本好きの人の多くが経験してきたことですが、狭い家の中に次々と本が重ねられ、そのうち本の重みで床が抜けるという事態に至ります。転居の時に、高い現状回復費用を払ったことが何度もありました。

 しかし、ネットが普及し、これが知の空間となったことで、状況は一変しました。誰もが一次情報を入手することができるようになりましたから、理屈上は情報格差がなくなったわけです。またネット上を使えば、誰でもファクト(事実)を入手できますから、知っていることそのもの価値も大きく減ることになります。

 昔のように、詳しく知っているというだけでアドバンテージを得ることは難しくなってきたのです。

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情報の「粒度」に対する理解が重要となってくる
 そうなってくると「知」のあり方そのものも変わってくることになります。かつては物理的な制約から、特定分野を詳しく掘り下げることが重要でした。
 しかし、新しい時代においては、既存の知識を組み合わせて、全体像を再構成する、あるいは新しい価値を生み出すことの方がずっと重要になっています。まさにこれは知のパラダイムシフトと言ってよい状況でしょう。

 こうした時代においては、知識の身に付け方も変わってきますから、知的活動を行う際には、少々注意が必要です。特に重要なのが、ものごとの「粒度」に関する問題です。

 あるテクノロジーに関する知識と、企業経営に関する知識をネットで仕入れ、これをうまく組み合わせて新しい知見を得ようという場合には、両方の知識の深さについて、うまくバランスを取らなければなりません。

 テクノロジーについてはオタク的に詳しいものの、経営学についてはまったくの素人、という人では、いくらネットで知識を仕入れても、両者をうまくミックスすることはできません。
 当然のことですが、逆も同じです。つまり、知識を組み合わせる際には、それぞれの知識の「粒度」を揃えておく必要があるのです。

 また誰でも一次情報を手にできる分、生のデータを意味のある情報に料理するための工夫も必要となってきます。

 実はこの作業がなかなか大変なのです。というのも、あらゆる分野について、概略を知っていないと、どの位の粒度に統一してよいのか見当がつかないからです。

 確かに新しい時代においては、苦労して特定分野を深く掘り下げる必要性は薄れてきました。その分、今度は、より広範囲にものごとを知ることが求められています。概略レベルであらゆる分野のことを理解するという作業は、特定分野を深堀りすることより、実は大変な手間がかかるものなのです。

 結局のところ、ネットの普及で「知」の構造は変わりましたが「知」を獲得するための手間や苦労という意味では、何も変わっていないのかもしれません。

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